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伊集院大八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日 - 没年不明 )は、井筒部屋に所属した元力士。本名は東 幹男(ひがし みきお)。現在の鹿児島県日置市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、寄り。

経歴

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1949年5月場所初土俵、1955年3月場所十両昇進し連続28場所務める。1960年9月場所限りで廃業した。

部屋の同僚である鶴ヶ嶺昭男と親交のあった中西太がトレーニングの一環として出稽古に来た際、中西と二人で写真を撮ったこともある[1]

主な成績

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  • 通算成績:323勝327敗9休 勝率.497
  • 十両成績:195勝223敗2休 勝率.467
  • 現役在位:49場所
  • 十両在位:28場所
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:1回(1955年1月場所)

場所別成績

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伊集院 大八
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1949年
(昭和24年)
x x 新序
2–1 
x 西序二段21枚目
9–6 
x
1950年
(昭和25年)
東序二段4枚目
9–6 
x 西三段目23枚目
11–4 
x 東三段目7枚目
7–8 
x
1951年
(昭和26年)
東三段目8枚目
10–5 
x 西幕下26枚目
9–6 
x 東幕下15枚目
6–9 
x
1952年
(昭和27年)
西幕下20枚目
3–12 
x 西幕下29枚目
7–8 
x 東幕下34枚目
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
西幕下30枚目
7–8 
西幕下32枚目
2–6 
東幕下40枚目
6–2 
x 東幕下29枚目
6–2 
x
1954年
(昭和29年)
西幕下19枚目
6–2 
西幕下6枚目
3–5 
東幕下11枚目
4–4 
x 東幕下10枚目
5–3 
x
1955年
(昭和30年)
東幕下4枚目
優勝
8–0
西十両16枚目
6–9 
東十両18枚目
8–7 
x 西十両14枚目
7–8 
x
1956年
(昭和31年)
東十両16枚目
7–8 
東十両17枚目
5–10 
西十両21枚目
8–7 
x 東十両20枚目
9–6 
x
1957年
(昭和32年)
東十両12枚目
6–9 
東十両14枚目
7–8 
西十両14枚目
8–7 
x 東十両11枚目
3–10–2[2] 
西十両20枚目
9–6 
1958年
(昭和33年)
西十両16枚目
6–9 
東十両19枚目
8–7 
東十両18枚目
6–9 
東十両22枚目
8–7 
東十両20枚目
9–6 
西十両16枚目
8–7 
1959年
(昭和34年)
西十両14枚目
8–7 
東十両13枚目
7–8 
西十両14枚目
7–8 
西十両15枚目
8–7 
西十両13枚目
7–8 
東十両15枚目
10–5 
1960年
(昭和35年)
西十両7枚目
6–9 
西十両10枚目
6–9 
東十両14枚目
6–9 
東十両18枚目
2–13 
西幕下11枚目
引退
0–0–7
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 東 幹男(ひがし みきお)1949年5月場所 - 1952年1月場所
  • 鶴東山(かくとうざん)1952年5月場所 - 1953年1月場所
  • 鶴波(つるなみ)1953年3月場所 - 1956年5月場所
  • 伊集院 大八(いじゅういん だいはち)1956年9月場所 - 1960年9月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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  1. ^ http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150831-01
  2. ^ 右膝関節捻挫により6日目から途中休場、9日目から再出場

関連項目

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外部リンク

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