伊集院大八
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伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日 - 没年不明 )は、井筒部屋に所属した元力士。本名は東 幹男(ひがし みきお)。現在の鹿児島県日置市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、寄り。
経歴
[編集]1949年5月場所初土俵、1955年3月場所十両昇進し連続28場所務める。1960年9月場所限りで廃業した。
部屋の同僚である鶴ヶ嶺昭男と親交のあった中西太がトレーニングの一環として出稽古に来た際、中西と二人で写真を撮ったこともある[1]。
主な成績
[編集]- 通算成績:323勝327敗9休 勝率.497
- 十両成績:195勝223敗2休 勝率.467
- 現役在位:49場所
- 十両在位:28場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1955年1月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1949年 (昭和24年) |
x | x | 新序 2–1 |
x | 西序二段21枚目 9–6 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東序二段4枚目 9–6 |
x | 西三段目23枚目 11–4 |
x | 東三段目7枚目 7–8 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東三段目8枚目 10–5 |
x | 西幕下26枚目 9–6 |
x | 東幕下15枚目 6–9 |
x |
1952年 (昭和27年) |
西幕下20枚目 3–12 |
x | 西幕下29枚目 7–8 |
x | 東幕下34枚目 8–7 |
x |
1953年 (昭和28年) |
西幕下30枚目 7–8 |
西幕下32枚目 2–6 |
東幕下40枚目 6–2 |
x | 東幕下29枚目 6–2 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西幕下19枚目 6–2 |
西幕下6枚目 3–5 |
東幕下11枚目 4–4 |
x | 東幕下10枚目 5–3 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東幕下4枚目 優勝 8–0 |
西十両16枚目 6–9 |
東十両18枚目 8–7 |
x | 西十両14枚目 7–8 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東十両16枚目 7–8 |
東十両17枚目 5–10 |
西十両21枚目 8–7 |
x | 東十両20枚目 9–6 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両12枚目 6–9 |
東十両14枚目 7–8 |
西十両14枚目 8–7 |
x | 東十両11枚目 3–10–2[2] |
西十両20枚目 9–6 |
1958年 (昭和33年) |
西十両16枚目 6–9 |
東十両19枚目 8–7 |
東十両18枚目 6–9 |
東十両22枚目 8–7 |
東十両20枚目 9–6 |
西十両16枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) |
西十両14枚目 8–7 |
東十両13枚目 7–8 |
西十両14枚目 7–8 |
西十両15枚目 8–7 |
西十両13枚目 7–8 |
東十両15枚目 10–5 |
1960年 (昭和35年) |
西十両7枚目 6–9 |
西十両10枚目 6–9 |
東十両14枚目 6–9 |
東十両18枚目 2–13 |
西幕下11枚目 引退 0–0–7 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 東 幹男(ひがし みきお)1949年5月場所 - 1952年1月場所
- 鶴東山(かくとうざん)1952年5月場所 - 1953年1月場所
- 鶴波(つるなみ)1953年3月場所 - 1956年5月場所
- 伊集院 大八(いじゅういん だいはち)1956年9月場所 - 1960年9月場所
参考文献
[編集]- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
[編集]- ^ http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150831-01
- ^ 右膝関節捻挫により6日目から途中休場、9日目から再出場