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伊賀八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊賀八幡宮

随身門(国の重要文化財)
所在地 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
位置 北緯34度58分17.15秒 東経137度9分52.82秒 / 北緯34.9714306度 東経137.1646722度 / 34.9714306; 137.1646722 (伊賀八幡宮)座標: 北緯34度58分17.15秒 東経137度9分52.82秒 / 北緯34.9714306度 東経137.1646722度 / 34.9714306; 137.1646722 (伊賀八幡宮)
主祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現
社格県社
創建 文明2年(1470年
本殿の様式 権現造
例祭 10月第1土曜・日曜
地図
伊賀八幡宮の位置(愛知県内)
伊賀八幡宮
伊賀八幡宮
地図
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伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社

概要

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本殿、隨神門、神橋などが重要文化財に指定されている[1]

歴史

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文明2年(1470年)、松平親忠が、松平氏の氏神として社(やしろ)を伊賀国より現在の地に移した。これが伊賀八幡宮の始まりとされる[2]

その後、慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われた。さらに三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となった。

祭神は応神天皇仲哀天皇神功皇后東照大権現

境内

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本殿
慶長年間に徳川家康によって造営された。国の重要文化財である。
随身門
神域を守る随身を門の両側に安置する。同じく国の重要文化財である。
神橋(石橋)
同じく国の重要文化財だが、現在は渡ることはできない。

文化財

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重要文化財

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  • 本殿、幣殿、拝殿、附、宮殿(くうでん)1基、棟札4枚
  • 透塀
  • 御供所
  • 随身門
  • 神橋
  • 鳥居

岡崎市指定文化財

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  • 伊賀八幡宮末社上総社社殿、牟久津社社殿[3]
  • 木造随身像(附:像内納入銘札1枚)[3]

主な祭礼

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  • 月次祭(毎月1・15日)
  • 武者的神事(大寒の日)
    • 檜の的板に矢を射放ち、的板の割れ具合によって一年の豊凶を占う。
  • 節分厄除祭(立春前日)
  • 祈年祭(2月17日)
  • 東照宮祭(4月17日)
  • 茅の輪神事(6月晦日)
  • 例大祭(10月第1土・日曜日)
  • 新嘗祭(勤労感謝の日)

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 伊賀八幡宮”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2022年1月5日閲覧。
  2. ^ 『岡崎市歴史的風致維持向上計画』第1章 岡崎市の歴史的風致形成の背景”. 岡崎市ホームページ. p. 79 (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
  3. ^ a b 岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2024年1月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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