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伊藤庄七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤 庄七
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市
生年月日 1918年3月20日
没年月日 (1999-03-06) 1999年3月6日(80歳没)
身長
体重
176 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1950年
初出場 1950年
最終出場 1955年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1999年3月6日[1])は、愛知県名古屋市[1]出身のプロ野球選手外野手)・コーチ解説者

経歴

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中京商業学校では1933年夏の甲子園へ出場し[1]中京商対明石中延長25回の試合にもベンチ入りしていた[1]

高校卒業後は明治大学社会人野球の大連満倶、愛知産業を経て、1950年毎日オリオンズへ入団[1]。プロ初年度からチームのパ・リーグ優勝に貢献。セ・リーグ優勝の松竹ロビンスとの間で行われた第1回日本シリーズ(当時の名称は日本ワールドシリーズ)には全6試合に出場。第1戦では1-1で迎えた延長12回表に決勝の2点タイムリーツーベースを放つ。また第6戦の延長11回裏には伊藤のサードゴロを三塁手の真田重男がニ塁へ送球したが送球を受けようとした二塁手の金山次郎と一塁走者の別当薫が交錯し金山が落球、これを見た三塁走者の呉昌征がホームイン、毎日がサヨナラ勝ちし初代日本一に輝いている。

1951年からは正右翼手に定着し第1回オールスターゲームへ出場[1]。同年はリーグトップとなる28二塁打を放ったほか、リーグ6位の打率.303を記録[1]

1953年シーズン途中に東急フライヤーズへ移籍[1]。移籍後も正右翼手として活躍するが中日ドラゴンズへ移籍した1955年限りで現役を引退[1]

引退後は、日本短波放送プロ野球ナイトゲーム中継解説者1956年 - 1961年)を経て、阪急ブレーブスで一軍コーチ(1962年 - 1964年)を務めた。その後は中部日本放送解説者(1966年 - 1967年[1]

1999年3月4日脳梗塞のため死去[1]。享年80歳。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1950 毎日 68 200 181 30 52 15 0 4 79 26 6 5 2 -- 17 -- 0 24 6 .287 .348 .436 .785
1951 101 403 376 61 114 28 5 8 176 47 16 10 1 -- 26 -- 0 53 7 .303 .348 .468 .816
1952 102 375 333 50 88 22 1 7 133 50 14 4 7 -- 35 -- 0 35 3 .264 .334 .399 .734
1953 13 23 21 1 3 0 0 0 3 2 0 1 0 -- 2 -- 0 5 0 .143 .217 .143 .360
東急
東映
69 242 215 21 43 6 1 3 60 12 7 3 2 -- 25 -- 0 25 10 .200 .283 .279 .562
'53計 82 265 236 22 46 6 1 3 63 14 7 4 2 -- 27 -- 0 30 10 .195 .278 .267 .545
1954 97 329 282 32 65 12 2 3 90 33 9 2 0 2 44 -- 1 51 8 .230 .336 .319 .656
1955 中日 32 49 46 2 7 1 0 0 8 3 0 0 0 0 3 0 0 10 4 .152 .204 .174 .378
通算:6年 482 1621 1454 197 372 84 9 25 549 173 52 25 12 2 152 0 1 203 38 .256 .327 .378 .704
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東急(東急フライヤーズ)は、1954年に東映(東映フライヤーズ)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 1 (1950年 - 1953年途中)
  • 2 (1953年途中 - 1954年)
  • 5 (1955年)
  • 40 (1961年 - 1964年)

関連情報

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出演番組

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※CBC解説者として出演していたプロ野球中継番組(タイトルは2011年現在)。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、54ページ

関連項目

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外部リンク

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