伊沢利光
Toshimitsu IZAWA | |
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基本情報 | |
名前 | 伊澤 利光 |
生年月日 | 1968年3月2日(56歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県鎌倉市 |
経歴 | |
メジャー選手権最高成績 | |
マスターズ | 4位タイ: 2001 |
PGA選手権 | 18位タイ: 2003 |
全米オープン | 44位タイ: 2001 |
全英オープン | 22位タイ: 2002 |
成績 | |
優勝回数 | 日本男子:16回 |
初優勝 | 日本オープン (1995) |
賞金王 | 2001年・2003年 |
賞金ランク最高位 | 日本男子:1位 (2度) |
2012年9月24日現在 |
伊澤 利光(いざわ としみつ、1968年3月2日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のプロゴルファー。日本体育大学荏原高等学校、日本体育大学体育学部体育学科3年次中退。
プロフィール
[編集]身長169cm。2005年までの登録名は「伊沢利光」だったが、翌年から「伊澤利光」に変更[1]。現在は妻の実家がある福岡県内に在住している。
略歴
[編集]ゴルフインストラクターである父親の手ほどきを受けて、8歳からゴルフを始める。日体荏原高校卒業後は日本体育大学に進学するが、日本学生ゴルフ選手権競技大会優勝を機に3年で中退し、1989年にプロテストに合格。直後にアメリカへ渡り、PGAツアーの下位ツアーである「ナイキ・ツアー」(当時)に4年間挑戦後1993年に日本へ帰国、尾崎将司に師事し始める。1995年日本におけるメジャー大会のひとつ「日本オープン選手権」で初日からの首位を4日間明け渡さずにツアー初優勝を果たした。
2001年4月、マスターズ・トーナメントで4日間で10アンダーパーの278ストロークで日本人史上最高の4位入賞を果たす。同年は国内においても5勝を挙げ、師匠である尾崎の1994年獲得賞金総額を上回る日本ツアー史上最高額(217,934,583円)[2]で初の賞金王となった[3]。
2002年は国内で未勝利に終わるなど成績低迷したが、12月メキシコで開催された世界ゴルフ選手権の一試合「EMCワールドカップ」で丸山茂樹とのコンビで日本に45年ぶりの“世界一”の名誉をもたらす活躍をみせる。また、2003年には年間2勝を挙げ2年ぶり2度目の賞金王を獲得し完全復活を遂げたものと思われた。
しかし、翌2004年は未勝利で賞金ランキング26位。2005年は『アンダーアーマーKBCオーガスタ』で2年ぶりのツアー通算15勝目を挙げるが、賞金ランキング11位に終わる。2006年は体調不良やスイング改造の成果が出ないなどの原因で、思った成績を残せず賞金ランキング78位と低迷し、賞金によるシード権を失う[4] など好不調の激しい戦績の選手ではある。
2007年には長年親しんだブリヂストンスポーツとの契約を解消し、心機一転、5月沖縄県で開催された第75回日本プロゴルフ選手権で一勝し賞金ランキングは13位。国内のプロゴルファーの多くが賞賛する美しいスイングや海外での実績もあり、完全復活を心待ちにするファンは少なくない。
優勝歴
[編集]日本ツアー (16)
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No. | 日時 | 大会 | 優勝スコア | 打差 | 2位 |
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1 | 1995年10月1日 | 日本オープンゴルフ選手権競技 | -7 (67-70-70-70=277) | 1打差 | 細川和彦 |
2 | 1998年10月11日 | 東海クラシック | -11 (73-66-70-68=277) | 3打差 | 湯原信光 |
3 | 1999年7月25日 | アイフルカップ | -14 (67-72-68-67=274) | 1打差 | 谷口徹 |
4 | 1999年8月1日 | NST新潟オープンゴルフトーナメント | -19 (64-67-68-70=269) | 6打差 | 細川和彦 |
5 | 2000年7月2日 | JGTO TPC イーヤマカップ | -13 (63-70-70=203) | 3打差 | 横尾要 |
6 | 2000年8月27日 | 久光製薬KBCオーガスタ | -18 (67-65-71-67=270) | 4打差 | 杉本周作 |
7 | 2000年11月12日 | 住友VISA太平洋マスターズ | -14 (68-69-66-71=274) | 1打差 | 深堀圭一郎 |
8 | 2001年5月27日 | ダイヤモンドカップトーナメント | -11 (77-68-64-68=277) | プレーオフ | 藤田寛之/ 五十嵐雄二 |
9 | 2001年9月23日 | 三井住友VISA太平洋マスターズ | -18 (66-67-68-69=270) | 2打差 | 野仲茂/ 宮里優作 |
10 | 2001年10月7日 | ジョージア東海クラシック | -16 (65-68-70-69=272) | 2打差 | 近藤智弘 |
11 | 2001年10月21日 | ブリヂストンオープンゴルフトーナメント | -14 (71-67-67-69=274) | 1打差 | 尾崎将司 |
12 | 2001年10月28日 | フィリップモリスチャンピオンシップゴルフトーナメント | -16 (67-67-66-72=272) | 1打差 | 谷口徹/ 田中秀道 |
13 | 2003年7月6日 | 日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ | -14 (70-63-68-69=270) | 1打差 | 高山忠洋/ デビッド・スメイル |
14 | 2003年7月13日 | ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント | -13 (66-68-69-72=275) | プレーオフ | 室田淳 |
15 | 2005年8月28日 | アンダーアーマーKBCオーガスタ | -20 (67-65-67-65=264) | 5打差 | 小田龍一/ プラヤド・マークセン |
16 | 2007年5月13日 | 日本プロゴルフ選手権大会 | -5 (68-70-72-73=284) | 1打差 | 広田悟 |
プレーオフ記録 (2-1)
[編集]No. | 年 | 大会 | 対戦相手 | 内容 |
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1 | 1998年 | カシオワールドオープン | ブライアン・ワッツ | プレーオフ2ホール目で、伊沢がパー。ワッツはバーディー。ワッツの優勝。 |
2 | 2001年 | ダイヤモンドカップトーナメント | 藤田寛之/ 五十嵐雄二 | プレーオフ1ホール目に藤田、五十嵐のボキー以上が確定、伊沢がパーパットを決め、伊沢の優勝。 |
3 | 2003年 | ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント | 室田淳 | プレーオフ2ホール目に伊沢がパー、室田が3オン後のパーパットを外し、伊沢の優勝。 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 海外参戦時の登録名は「Toshi Izawa」。
- ^ 一季出版株式会社『ジャパンゴルフツアーオフィシャルガイド 2013』一般社団法人 日本ゴルフツアー機構、2013年4月。ISBN 978-4-87265-177-5。
- ^ 海外獲得賞金も含む。
- ^ 「賞金ランキング」以外の要件でシード権を保有しているため国内ツアーには出場可能である。