伊古乃速御玉比売神社
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伊古乃速御玉比売神社 | |
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所在地 | 埼玉県比企郡滑川町伊古1242 |
位置 | 北緯36度4分26.7秒 東経139度20分23秒 / 北緯36.074083度 東経139.33972度座標: 北緯36度4分26.7秒 東経139度20分23秒 / 北緯36.074083度 東経139.33972度 |
主祭神 |
気長足姫命 大鞆和気命 武内宿禰 |
神体 | 二ノ宮山 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | (伝)仁賢天皇年間(449年~460年) |
別名 | 淡洲明神 |
例祭 | 10月15日 |
地図 |
伊古乃速御玉比売神社(いこのはやみたまひめじんじゃ)は、埼玉県比企郡滑川町の滑川沿いにある神社。祭神は気長足姫命、大鞆和気命、武内宿禰の三神。本来の祭神は、社名にあるとおり速御玉比売命。武蔵国秩父郡の式内小社の論社。旧社格は村社。
由緒
[編集]概要
[編集]伊古乃速御玉比売神社(奥宮)
仁賢天皇年間(449年~460年)に、蘇我石川宿禰の子孫が二ノ宮山の頂上に創建したと伝わる。[1]天正4年(1576年)に当地へ遷座し、二ノ宮山の社を奥宮とした。また、五穀豊穣を願い、奥宮に榛名神社を合祀した。
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社殿
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八大龍神
伊古乃速御玉比売神社(本宮)
本宮の本殿には、稲荷大神・愛宕大神が相殿している[2]。 当社は、別名として淡洲明神とも呼ばれた。淡洲明神の「洲」は、埼玉県では「島」の意味から紀伊国海草郡加太之浦に鎮座する加太神社(現在の淡嶋神社)の祭神の淡島明神を分霊したと考えられている。[3]
淡洲明神系の神社
- 滑川町土塩 淡洲神社[4]
- (祭神)速御玉比売命
- (創建)天明3年(1783年)7月3日
- 滑川町福田(上福田) 淡洲神社[5]
- 滑川町山田(上山田) 淡洲神社[6]
- 滑川町山田(下山田) 大雷淡洲神社[7]
- 滑川町水房 阿和須神社[8]
- (祭神)大鞆和気命、息長足日売命、武内宿称命
- (創建)永仁年間(1293年~1298年)字御山の台。寛永元年(1624年)に現在地に遷座。
- (補足)大和国添上郡の率川阿波神社(現在は率川神社の境内社)を勧請
- 嵐山町太郎丸 淡洲神社[9]
- (祭神)速御玉姫命
- (創建)元禄8年(1695年)
- (補足)水房村の淡洲明神社(現在の阿和須神社)を分霊
- 嵐山町勝田 淡洲神社
社格
[編集]- 伊古乃速御玉比売神社の氏子に水房村の氏子が兼務として加わり、郷社となった。[10]
- 明治40年(1912年)4月2日 - 神饌幣帛料供進神社指定
祭神
[編集]摂末社
[編集]- 八幡神社
- 字郷社前の八幡神社を境内社の愛宕神社に合祀し、現在の社号に改称した。[10]
- 金刀比羅神社
- 天満天神社
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八幡神社
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金刀比羅神社
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天満天神社
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 社頭掲示板より
- ^ 新編武蔵風土記稿.
- ^ 『埼玉の神社 大里・北葛飾、比企』(出版社:埼玉県神社庁、出版日:1992年7月)より
- ^ 土塩 淡洲神社の社頭掲示板(作成日:平成20年3月、作成者:滑川町観光協会・滑川町教育委員会)より
- ^ 福田 淡洲神社の社頭掲示板(作成日:平成15年3月、作成者:滑川町観光協会・滑川町教育委員会)より
- ^ 山田 淡洲神社の社頭掲示板(作成日:平成15年3月、作成者:滑川町観光協会・滑川町教育委員会)より
- ^ 大雷淡洲神社の社頭掲示板(作成日:昭和54年12月、作成者:滑川村観光協会・滑川村教育委員会)より
- ^ 阿和須神社の社頭掲示板(作成日:平成17年5月、作成者:滑川町観光協会・滑川町教育委員会)より
- ^ 埼玉県『神社明細帳』(内務省 明治11年)淡州神社 七郷村太郎丸 より
- ^ a b 『滑川村史 民俗編』(出版社:滑川村、出版日:1984年10月)