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今津砲台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
今津海岸砲台記念石 左は今津灯台

今津砲台(いまづ-ほうだい)は、兵庫県西宮市今津に設営されていた砲台。その後「今津海岸砲台記念石」として今津堡塔の残石で出来た記念碑が建てられている[1]

概要

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砲台は武庫郡今津村の海岸(現・西宮市今津真砂町)に建てられていた[2]。記念碑の案内板には高さ10-12m、直径十数mの石造(花崗岩)で、2層目に空けられた砲眼より大砲で四方を狙うことが可能であったと記されている。

歴史

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記念石・正面
記念石・背面 大正四年十月の刻銘が見られる

幕末の頃、国防に不安を感じていた江戸幕府では勝海舟の建議を取り入れ、文久3年(1863年)、大坂湾の海防のために和田岬砲台舞子砲台西宮砲台などと共に砲台の建設が開始された[2]

基礎工事(地杭打ち)では砂地へ1,157本もの[注 1]松杭が打ち込まれた。建設に必要な御影石(花崗岩)は主に、備中小田郡の島々[注 2](現・岡山県笠岡市)より切り出し、海路にて運搬された[注 3]。熟練工を多く招集し突貫工事で建設が進められ、慶応2年(1866年)に竣工した[2]

明治元年(1868年)、陸軍省の所有となった今津砲台は、他の砲台と共に売却が宣告されたものの一旦は中止となる。だが明治43年(1910年)に海軍省より民間へと払い下げられ、大正4年(1915年)に解体、砲台の石材の一部を利用して「今津海岸砲台記念石」と刻まれた記念碑が作られ、福應神社へ奉納された[2]

その後平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災による同社の被災・復興を経て、記念碑はかつての砲台が建設された地域へ移設されている[3][2]

年表

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交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 工期途中の計算であり、竣工時にはさらなる本数が打設されていた可能性もある。
  2. ^ 北木島白石島真鍋島神島外浦
  3. ^ 御影石の産地として有名な御影村からの切り出しは、遠い陸路となり運賃等が高値となる一方、備中・備前では石質が良く安価であり、さらに運搬時に舟より陸揚げするのみで済んだためと思われる。

出典

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  1. ^ 今津砲台跡”. 西宮流・観光案内所. 2013年2月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 西宮市史 第2巻 P.970-978
  3. ^ 福應神社のご紹介です”. 2013年2月25日閲覧。

参考文献

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  • 魚澄惣五郎 編『西宮市史 第2巻』西宮市役所、1960年3月25日。 

関連項目

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外部リンク

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