仁壁神社
仁壁神社 | |
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境内 | |
所在地 | 山口県山口市三の宮2-6-22 |
位置 | 北緯34度11分20.87秒 東経131度29分30.51秒 / 北緯34.1891306度 東経131.4918083度座標: 北緯34度11分20.87秒 東経131度29分30.51秒 / 北緯34.1891306度 東経131.4918083度 |
主祭神 |
下照姫命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 味耜高彦根命 |
社格等 |
式内社(小) 周防国三宮 旧県社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月27日 |
地図 |
仁壁神社(にかべじんじゃ)は、山口県山口市三の宮にある神社。式内社、周防国三宮で、旧社格は県社。
祭神
[編集]現在の祭神は次の通り[1]。
- 主祭神
- 配祀神
-
- 瑞珠殿:神産日神(かみむすびのかみ)ほか7柱
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は1座。当初の祭神については下照姫命とする説があるほか[2]、『仁壁神社鎮座考』では味鋤高彦根命を主神、下照姫命を相殿神として、住吉三神を合祀とする。
歴史
[編集]創建
[編集]創建は不詳。社伝では、崇神天皇7年に各地の神社の神封戸を定めたときに、当社にも宮野庄を神封戸としてあてたとする。
元は宮野下村に鎮座していたが、現在地で一日中玉光が飛ぶ奇瑞があったとして、長治元年(1104年)に現在地に遷座したという。
概史
[編集]国史では天安2年(858年)に「仁壁神」の神階が正六位上から従五位下に、貞観9年(867年)に「仁璧神」の神階が従四位下に昇叙された旨が記されている[2]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では周防国吉敷郡に「仁壁神社」と記載され、式内社に列している(吉敷郡では唯一)[2]。
その後、天慶2年(939年)・永保元年(1081年)・治承4年(1180年)・元暦4年(文治3年、1187年)に神階が昇叙され、正三位に達している[2]。
建久6年(1195年)の「周防宮野荘立券文」には「仁戸宮社」と見え、社領として6丁下品上生20歩・田3丁9段中品中生20歩・畠2丁上品下生と記されている[2]。
周防国においては古くから玉祖神社(一宮)・出雲神社(二宮)に次ぐ三宮に位置づけられ、明応6年(1494年)に九州の戦陣から帰った大内義興が周防国内5社に戦勝報告をした際にも3番目に参詣を受けている[2]。
永禄12年(1569年)に大内輝弘が山口に乱入(大内輝弘の乱)した際に焼失したが、毛利輝元により再建[2]。正徳2年(1712年)に再び社殿を焼失し、享保5年(1720年)に毛利吉元によって再建された[2][3]。
明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において県社に列している[1]。
平成9年(1997年)、火災(放火)により享保5年以来の社殿を焼失。平成12年(2000年)に本殿、平成13年(2001年)に拝殿・幣殿、平成22年(2010年)に神楽殿が再建されている[3]。
神階
[編集]境内
[編集]-
本殿
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幣殿
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拝殿
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神楽殿
文化財
[編集]山口市指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 木造獅子頭(彫刻) - 江戸時代初期、慶長13年(1608年)の作。総長55.7センチメートル。昭和57年(1982年)3月2日指定[1]。
なお本殿が昭和52年(1977年)11月11日に山口県指定有形文化財に指定されていたが、平成9年(1997年)に焼失している。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板
- 明治神社誌料編纂所編 編「仁壁神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)114-115コマ参照。
- 「仁壁神社」『日本歴史地名大系 36 山口県の地名』平凡社、1980年。ISBN 4582490360。