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京都府立鳥羽高等学校

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京都府立第二中学校から転送)

京都府立鳥羽高等学校
地図北緯34度58分42.7秒 東経135度44分42.1秒 / 北緯34.978528度 東経135.745028度 / 34.978528; 135.745028座標: 北緯34度58分42.7秒 東経135度44分42.1秒 / 北緯34.978528度 東経135.745028度 / 34.978528; 135.745028
国公私立の別 公立学校
設置者 京都府の旗 京都府
学区 京都市・乙訓通学圏
設立年月日 1984年4月
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 全日制普通科
全日制グローバル科
定時制普通科
学科内専門コース リベラルアーツコース
スポーツ・教養コース
スポーツ総合専攻コース
(いずれも全日制普通科に設置)
学校コード D126210000211 ウィキデータを編集
高校コード 26152B
所在地 601-8449
京都府京都市南区西九条大国町1番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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府立鳥羽 高等学校の位置(京都府内)
府立鳥羽 高等学校
府立鳥羽
高等学校
位置図。

京都府立鳥羽高等学校(きょうとふりつとばこうとうがっこう)は、京都府京都市南区西九条大国町に所在する公立高等学校。略称は鳥羽高 (とばこう)。

概要

終戦直後に廃校となった旧制京都二中・府立洛南高校の旧校地に、京都府立朱雀高等学校鳥羽分校(定時制)として存続していた旧制上鳥羽中学校の後身校を包括する形で1984年に新設された。府立鳥羽高校という校名はこの定時制課程が単独校であった時期に名乗っていたもので、厳密には二代目としての復活となる。

教育機関としての歴史的連続性はまったくないものの、校地及び校舎を継承しているため京都二中の後継校として扱われることもあり、公式サイトの学校案内にも二中創立以来の沿革が掲載されている。また同窓会も世代を超えて合同で運営されている。

沿革

京都府第二中学校~京都府立洛南高等学校

京都府立夜間中学~京都府立上鳥羽中学校~京都府立鳥羽高等学校(初代)

  • 1935年 - 京都第二中学校内に、府下初の夜学として京都府立夜間中学が設置される。
  • 1936年 - 京都府立京都二中夜間中学と改称。
  • 1943年4月 - 国民学校令等戦時特例により同校は廃止され、新たに中等学校令に基づく夜間中学校である京都府立上鳥羽中学校として開校。
  • 1948年4月 - 学制改革により京都府立鳥羽高等学校と改称。
  • 1948年10月15日 - 府下高等学校再編成によって廃校となり、新たに京都府立朱雀高等学校鳥羽分校(定時制)が設置される。在校生はそのまま鳥羽分校に移籍し、引き続き同地にて市立洛南中学校と校舎を共用する。

京都府立鳥羽高等学校(二代目)

  • 1984年4月 - 市立洛南中の移転により、朱雀高校鳥羽分校の単独利用となっていた校地に新設校として開校。朱雀高校鳥羽分校は本校の定時制課程として移管統合される。
  • 1985年4月 - 全日制普通科に第I類・第II類・第III類(体育系)を設置。
  • 2003年 - 文部科学省より学力向上フロンティア・ハイスクールの指定を受ける。
  • 2014年4月 - 全日制普通科の類型を廃止し、学科内コース制に変更。
  • 2015年 - 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクールの指定を受ける。
  • 2016年4月 - 定時制普通科が単位制に移行。就学期間3年の三修制コースを新設。
  • 2017年4月 - 全日制にグローバル科を新設。
  • 2017年9月29日 - 管理棟(旧京都二中本館・1931年築)が京都府暫定登録有形文化財(建造物)の第1号として登録される。
  • 2020年4月 - 全日制普通科が単位制に移行。

設置学科

  • 全日制
    • 普通科
      • リベラルアーツコース
      • スポーツ・教養コース
      • スポーツ総合専攻コース
    • グローバル科
  • 定時制
    • 普通科 - 成人特別入学者選抜の対象校として、20歳以上の生徒も受け入れている(募集定員の10%以内)。

部活動

野球部

本校は、旧京都二中が府立洛南高を経て閉鎖となった校地に、「その伝統を継承する学校」として1984年に設置された。再設置の経緯は定かではないが、第28回全国中等学校優勝野球大会準優勝メンバーで旧関西六大学野球連盟理事長を務めた黒田脩曰く、「公立高校では聞いたことない」形での再興だった。

野球部も開校と同時に創部され、体育系のコースを置いたこともあって2000年春(第72回)に出場するまでに力をつけた[4]。この際、鳥羽高校の選抜出場回数を旧京都二中から合算して「53年ぶり」とするか、あくまで別の学校とみなして「初出場」とするか議論が分かれたが、最終的には選抜主催の毎日新聞社全国高等学校野球選手権大会主催の朝日新聞社と協議の上で「53年ぶり出場」としてカウントすることとなった[5]。ただし、OBの中には「継承校は継承校として、甲子園には初出場として新しく歴史をスタートさせたらええ」という声があったのも事実である。この年は、夏(第82回)にも出場し、「54年ぶり」とカウントされた。また、これを機に日本高等学校野球連盟が保管していた優勝旗レプリカや、民間の研究家が所有していた野球部記が鳥羽高校に移譲された[6]

また、15年ぶりに出場権を獲得した2015年夏(第97回)では主催者側の指名により、100年前の第1回大会優勝校ゆかりの学校として本校主将が開会式の選手宣誓を行った[7]

2012年春(第84回)以降は、ユニフォームの左袖に「KSMS(Kyoto Second Middle Schoolの頭文字)」の文字を入れている[8][9]

鳥羽高校野球部は、元メジャーリーガーで現在、オリックス・バファローズに所属する平野佳寿投手などを輩出している[10]

アクセス

関係者

著名な出身者

京都府立京都第二中学校

京都府立鳥羽高等学校

著名な教職員

脚注

関連項目

参考文献

  • 谷上史朗「鳥羽(京都)」 著、ベースボール・マガジン(編) 編『スポーツ・スピリット28 高校野球 甲子園優勝物語』ベースボール・マガジン社、2006年、10-11頁。ISBN 4-583-61408-X 

外部リンク