京都市立小川小学校
京都市立小川小学校 Ogawa elementary school | |
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北緯35度01分44.75秒 東経135度45分13.07秒 / 北緯35.0290972度 東経135.7536306度座標: 北緯35度01分44.75秒 東経135度45分13.07秒 / 北緯35.0290972度 東経135.7536306度 | |
過去の名称 |
上京第十二番組小学校 小川尋常小学校 京都市小川国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治2年(1869年)10月1日[1] |
創立者 | 上京第十二番組 |
閉校年月日 | 1995年(統合先は現在の京都市立新町小学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒602-0951 |
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京都市立小川小学校(きょうとしりつ おがわしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校。明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成7年(1995年)に、京都市立中立小学校と共に、京都市立小川中立小学校(現在の京都市立新町小学校)に統合され、閉校した。
概要
[編集]学校名の由来は、学区の中央を南北に流れていた小川(おがわ、かつては「こかわ」と呼ばれた。)にちなむ[3]。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) - 上京第十二番組小学校として開校[4][5](開校日:10月1日[1])
- その後、校名を両川に改称。
- 明治6年4月 - 校名を小川に改称[5]
- 1887年(明治10年)1月 - 校地を小川通元誓願寺上る針屋町に移転。
- 1897年(明治20年)6月 - 小川尋常小学校に改称[2]
- 1941年(昭和16年)4月 - 京都市小川国民学校に改称[2]
- 1947年(昭和22年)4月 - 京都市立小川小学校に改称[2]
- 1948年(昭和23年)4月 - 通学区域変更(室町学区の今出川通以南各町は小川小学校に通学)[2]
- 1952年(昭和27年)11月 - 日本一健康優良校表彰[2][3]
- 1995年(平成7年)- 小川中立小学校に統合され、閉校[5]
- 1997年(平成9年)- 小川中立小学校から新町小学校が開校
- 2002年(平成14年) - 元小川小学校校地に小川特別養護老人ホームが設立
小川学区
[編集]小川学区(おがわがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての小川小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第12番組に由来し、同年には、区域内に上京第12番組小学校(のちに両川を経て、小川に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第9区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第9組となった[4]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第8学区となった[6]。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第8学区から小川学区となった[4]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[7]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
昭和23年(1948年)4月10日に室町小学校の通学区域の一部(烏丸通以西の、今出川通から一条通までの範囲[4] )が小川小学校の通学区域に変更された[8]。当該区域は、平成20年(2008年)4月1日に室町学区から小川学区に編入された[9]。
人口・世帯数
[編集]京都市内では、おおむね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[10]、小川学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第2国勢統計区[11])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は6,042人、3,512世帯である。
地理
[編集]上京区の中央部に位置する学区であり、北側は室町学区、西側は西陣学区と桃薗学区、南側は中立学区、東側の一部は京都御苑に接する。区域は、東は北半は新町通、南半は烏丸通、西は堀川通、北は上立売通のやや北側、南は一条通で限られ[4]、面積は0.319平方キロメートルである[12]。
小川学区内の通り
[編集]小川学区の町名
[編集]- 近衛殿表町
- 元本満寺町
- 常盤井図子町
- 大峰図子町
- 上小川町
- 近衛殿北口町
- 実相院町
- 中小川町
- 針屋町
- 靱屋町
- 革堂仲之町
- 革堂町
- 東今町
- 頭町
- 戒光寺町
- 革堂西町
- 元百万遍町
- 西今町
- 村雲町
- 竪富田町
- 西大路町
- 御三軒町
- 水落町
- 堀之上町
- 弁財天町
- 北兼康町
- 南兼康町
- 飛鳥井町
- 元図子町
- 東町
- 仲之町
- 西町
- 西武者小路町
- 一条横町
- 西川端町
室町学区から移った町
[編集]以下の11町は、もと上京第13番組(上京第10組)に属し、平成20年(2008年)4月に(通学区域としては昭和23年(1948年)4月に[8])、室町学区から小川学区となった[9]。
- 堀出シ町
- 徳大寺殿町
- 今図子町
- 北小路室町
- 梅屋町
- 武者小路町
- 一条殿町
- 一松町
- 福長町
- 小島町
- 観三橘町
周辺
[編集]小川学区内の主な施設
[編集]- 同志社大学新町キャンパス
- 上京区総合庁舎
- 武者小路千家官休庵
脚注
[編集]- ^ a b 京都市学校歴史博物館 編「番組小学校の変遷」『京都 学校物語』京都通信社、2006年、94-95頁。ISBN 4-903473-20-1。(設立日の日付は旧暦である。)
- ^ a b c d e f 「京都市立小川小学校」『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年、50頁。doi:10.11501/12111830 。
- ^ a b “学区案内/小川学区(おがわ)”. 2023年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e * 「小川学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、56-57頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078 。
- ^ a b c 京都市学校歴史博物館. “京都市立小学校の変遷”. 2023年8月11日閲覧。
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ a b “室町小学校の沿革”. 京都市立室町小学校(旧サイト). 2018年3月24日閲覧。
- ^ a b “学区案内トップページ”. 2023年11月2日閲覧。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
- ^ 令和2年国勢調査時点
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
参考文献
[編集]- 「小川学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、56-57頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078 。
- “学区案内/小川学区(おがわ)”. 2023年11月4日閲覧。
関連文献
[編集]- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
- 碓井小三郎「上京第十二学区之部」『京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之六-十一』1915年、232-380頁。doi:10.11501/1210439 。
- 「上京区小川学区」『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 。