京都市立中立小学校
京都市立中立小学校 Churitsu elementary school | |
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北緯35度01分32秒 東経135度45分21秒 / 北緯35.02556度 東経135.75583度座標: 北緯35度01分32秒 東経135度45分21秒 / 北緯35.02556度 東経135.75583度 | |
過去の名称 |
上京第十六番組小学校 中立尋常小学校 京都市中立国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治2年(1869年)11月26日[1] |
創立者 | 上京第十六番組 |
閉校年月日 | 1995年(統合先は現在の京都市立新町小学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒602-0915 |
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京都市立中立小学校(きょうとしりつ ちゅうりつしょうがっこう)は、京都市上京区にあった公立小学校。ここでは、同校の設立単位となった地域区分(元学区)である中立学区(ちゅうりつがっく)についても述べる。
概要
[編集]明治2年(1869年)に京都で設立された64の番組小学校の一つとして開校し、平成7年(1995年)に、京都市立小川小学校と共に、京都市立小川中立小学校(現在の京都市立新町小学校)に統合され、閉校した。跡地は、現在京都市立新町小学校の校地となっている。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) - 上京第十六番組小学校として開校[3][4](開校日:11月26日[1])
- 1877年(明治8年) - 校名を中立に改称[4]
- 1892年(明治25年)12月 - 京都市立中立尋常小学校に改称[2]
- 1941年(昭和16年)4月 - 京都市中立国民学校に改称[2]
- 1947年(昭和22年)4月 - 京都市立中立小学校に改称[2]
- 1948年(昭和23年) - 通学区域の変更(滋野学区から転入学)[2]
- 1995年(平成7年)- 小川中立小学校に統合され、閉校[4]
- 1997年(平成9年)- 小川中立小学校から新町小学校が開校[4][5]
通学区域
[編集]戦後、滋野中学校が設置されるにあたり、滋野小学校が閉校となることで、滋野学区の一部が中立小学校の通学区域となっていた。現在、滋野学区は全域が新町小学校の通学区域となっている[6]。
中立学区
[編集]中立学区(ちゅうりつがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなるかつての中立小学校の通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第16番組に由来し、同年には、区域内に上京第16番組小学校(のちに中立に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第17区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第17組となった[3]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第13学区となった[7]。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第13学区から中立学区となった[3]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[8]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
人口・世帯数
[編集]京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[9]、中立学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第3国勢統計区[10])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,857人、2,214世帯である。
地理
[編集]上京区の中央部に位置する学区であり、北側は小川学区、西側は聚楽学区、南側は滋野学区、東側は京都御苑に接する。区域は、東は烏丸通、西は堀川、北は一条通、南は下長者町通で限られ[3]、面積は0.277平方キロメートルである[11]。
中立学区内の通り
[編集]中立学区の町名
[編集]- 龍前町
- 薬屋町
- 花立町
- 清和院町
- 正親町
- 仕丁町
- 元頂妙寺町
- 讃州寺町
- 菊屋町
- 頭町
- 小川町
- 下小川町
- 油橋詰町
- 甲斐守町
- 亀屋町
- 松之下町
- 突抜町
- 主計町
- 一町目
- 二町目
- 広橋殿町
- 東日野殿町
- 西日野殿町
- 元真如堂町
- 西之口町
- 東町
- 三丁町
- 東橋詰町
- 元浄花院町
- 元土御門町
- 土御門町
- 有春町
- 橋本町
- 東長者町
- 仲之町
- 中橋詰町
周辺
[編集]中立学区内の主な施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 京都市学校歴史博物館 編「番組小学校の変遷」『京都 学校物語』京都通信社、2006年、94-95頁。ISBN 4-903473-20-1。(設立日の日付は旧暦である。)
- ^ a b c d e 「京都市立中立小学校」『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年、49頁。doi:10.11501/12111830 。
- ^ a b c d 「中立学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、220-221頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078 。
- ^ a b c d 京都市学校歴史博物館. “京都市立小学校の変遷”. 2023年8月11日閲覧。
- ^ “KA109 中立小学校・中立幼稚園開校・閉校記念碑”. 2023年11月10日閲覧。なお、説明文中「元滋野学区の中立・小川小学校が統合して」とあるが、これは誤りであり、「中立・小川小学校が統合し、元中立学区、元小川学区、元滋野学区を校区とする」が正しい。
- ^ “京都市通学区町名一覧(上京区)”. 2023年11月10日閲覧。
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
- ^ 令和2年国勢調査時点
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国政統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
参考文献
[編集]- 「中立学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、220-221頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078 。
- “学区案内/中立学区(ちゅうりつ)”. 2023年11月9日閲覧。
関連文献
[編集]- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
- 碓井小三郎「上京第十三学区之部」『京都坊目誌 上京之部 乾 上巻之十二-十五』1915年、232-380頁。doi:10.11501/1210439 。
- 「上京区中立学区」『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637 。
関連項目
[編集]- 京都府小学校一覧
- 京都府小学校の廃校一覧
- 番組小学校
- 京都の元学区
- 京都橘中学校・高等学校 - 前身となる私立京都女子手芸学校が中立売通新町西入三丁町454にあった。