京極宮公仁親王
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京極宮公仁親王 | |
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京極宮 | |
続柄 | 京極宮家仁親王第1王子 |
身位 |
二品 親王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
享保18年1月5日(1733年2月18日) 山城国 |
死去 |
明和7年6月22日(1770年7月14日) 山城国 |
埋葬 |
不明 不明 |
配偶者 |
正室:室子女王(閑院宮直仁親王の第3王女) 継室:徳川寿子(紀州徳川家徳川宗直の娘) |
子女 |
養子:桂宮盛仁親王(第10代桂宮) 第一王女:在子女王(一橋治済の正室) |
父親 | 京極宮家仁親王(第8代京極宮(桂宮)) |
母親 | 大江氏(北小路俊在(大江姓北小路家庶流)の娘) |
役職 | 上野太守 |
京極宮公仁親王(きょうごくのみや きんひとしんのう、享保18年1月5日(1733年2月18日) - 明和7年6月22日(1770年7月14日))は、江戸時代中期の日本の皇族。世襲親王家の京極宮(桂宮)第9代当主。京極宮家仁親王の第一王子。幼称は若宮、後に寛保元年(1741年)に胡佐麿(こさまろ)と改称する。
寛保2年(1742年)に桃園天皇の猶子となる。延享2年(1745年)2月親王宣下を受け、公仁と命名される。同月元服して上総太守に任ぜられる。
同年12月三品に叙せられる。宝暦3年(1753年)12月二品に昇叙。宝暦4年(1754年)閑院宮直仁親王の第三王女の室子女王と結婚し、家仁親王から家督を譲られる。宝暦6年(1756年)室子女王が薨去し、宝暦9年(1759年)紀州徳川家の徳川宗直の女の寿子と再婚する。
親王は、王子女に恵まれず、実子は、最初の妃であった室子女王との間に儲けた在子女王(後に一橋治済室)一人だけであった。親王没後、寿子妃を当主として宮家は維持されたが、寛政元年(1789年)に寿子妃が死去し、宮家は空主となった。