コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

井染四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いぞめ しろう
井染 四郎
本名 齋藤 四郎 (さいとう しろう)
別名義 伊染 四郎
生年月日 (1907-03-08) 1907年3月8日
没年月日 (1943-06-23) 1943年6月23日(36歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町
死没地 日本の旗 日本 福島県石城郡小名浜町(現在の同県いわき市小名浜
身長 171.2cm
職業 俳優
ジャンル 新劇劇映画時代劇現代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1929年 - 1943年
配偶者 奥田英子
主な作品
五人の斥候兵
土と兵隊
将軍と参謀と兵
テンプレートを表示

井染 四郎(いぞめ しろう、1907年3月8日 - 1943年6月23日[1][2])は、日本の俳優である[3][4][5][6]。本名は齋藤 四郎(さいとう しろう)[1][2][3][4][5][6]伊染 四郎と表記に揺れがある。日活太秦撮影所日活多摩川撮影所などで活躍した二枚目俳優の一人である[3][4]

来歴・人物

[編集]

1907年(明治40年)3月8日東京府東京市日本橋区久松町(現在の東京都中央区日本橋久松町)に生まれる[1][2][3][4][5][6]

旧制獨逸学協会中学校(現在の獨協高等学校)を経て法政大学文科に進学するが、中退[1][3][4][5][6]。大学在学中、築地小劇場のエキストラに応募するも落選してしまい、結局は自動車会社に勤務する、とされている[3][6]。1934年(昭和9年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社)等によれば、築地小劇場に加入して初舞台を踏むが、僅か1年余りで退いてしまい、自動車会社を3ヶ月勤務した後、失業生活を半年ほど過ごしたという旨が記されている[1][5]

1929年(昭和4年)11月1日、築地小劇場に所属していた三島雅夫(1906年 - 1973年)の紹介状を得て、女優夏川静江(1909年 - 1990年)に師事し、夏川が所属する日活太秦撮影所に入社[1][2][3][4][5][6]。同期には大日方伝小杉勇がいた[3][5][6]。1931年(昭和6年)2月17日(一説に2月25日)に公開された内田吐夢監督映画『ジャン・バルジャン』で映画デビュー[1][2][3][4][5][6]。以後、現代劇を中心に多数の作品に出演し、同年10月23日に公開された田坂具隆監督映画『心の日月 烈日篇 月光篇』では早くも入江たか子(1911年 - 1995年)の相手役を務めた。後に日活多摩川撮影所に移り、ここでも多数の作品に出演するが、あまり大成しなかった[3][4][6]。『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』によれば、京都府京都市右京区嵯峨野開町8番に住み、身長は5尺6寸5分(約171.2センチメートル)、体重は15貫800匁(約59.3キログラム)、趣味は読書であり、ビール洋酒が嗜好であるという[5]。また、杉狂児中田弘二らと特に親交があった[3]

1942年(昭和17年)1月27日、統合により大映に改称された後も引き続き在籍する[1][3][4][6]。映画では1943年(昭和18年)5月27日に公開された伊賀山正徳監督『海ゆかば』、舞台では同年5月末の帝国劇場でのかもしか座公演が記録に残る最後の出演作品である[1][2]。以後の消息は不明[3][4]、もしくは間も無く病没[6]とされていたが、『映画旬報』1943年(昭和18年)7月11日号および『讀賣報知』同年6月27日付にて、6月23日午後9時に炎症性腸疾患急性腹膜炎の併発症のため、静養先の福島県石城郡小名浜町(現在の同県いわき市小名浜)の小名浜温泉で急逝したと報じられている[1][2]。満36歳没(数え年37歳[1][2])。告別式は同年6月27日に東京府東京市世田谷区赤堤町(現在の東京都同区赤堤)の自宅で行われた[2]

出演作品

[編集]

日活太秦撮影所

[編集]

全て製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てサイレント映画である。

日活多摩川撮影所

[編集]

特筆以外、全て製作は「日活多摩川撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てトーキーである。

大映

[編集]

全てトーキーである。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『映画旬報』昭和18年7月11日号、映画出版社、58頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『讀賣報知』昭和18年6月27日付、4頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、46頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、45頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』映画世界社、1934年、26頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本映画美男俳優 戦前編』 ワイズ出版、2014年、258頁。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]