コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

二階堂行藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
二階堂行藤
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 正嘉元年(1257年
死没 正安4年8月22日1302年9月14日
改名 道暁→道我(法名)
官位 使宣旨、左衛門尉、出羽守、従五位上
幕府 鎌倉幕府 引付衆、政所執事、東使、越訴奉行、引付頭人
氏族 藤原南家乙麻呂二階堂氏
父母 父:二階堂行有
兄弟 行藤、行俊(養子)
時藤貞藤、宗藤、雅藤、藤村、澄有[1]
テンプレートを表示

二階堂 行藤(にかいどう ゆきふじ)は、鎌倉時代中期の武士鎌倉幕府政所執事

略歴

[編集]

正嘉元年(1246年)[2]二階堂行有の子として誕生。

弘安5年(1282年)引付衆[3]となり、11月使宣旨・左衛門尉を受ける[4]正応元年(1288年)出羽守となり、永仁元年(1293年)10月罷免された二階堂行貞に代わって政所執事となる[5]。永仁2年(1294年)2月、東使として京へ上る[6]。 永仁6年(1298年)越訴奉行[7]正安元年(1299年)引付頭人[8]と北条得宗が権力を握る中、昇進を重ねる。正安3年(1301年)東使として上京し[9]持明院統後伏見天皇に譲位を奏上した[9]。結果、幕府の圧力を受けた天皇は大覚寺統後二条天皇に譲位した。

正安4年(1302年)8月22日死去。享年57[10]。死後、政所執事には二階堂行貞が復帰した[11]

脚注

[編集]
  1. ^ 「尊卑文脈」
  2. ^ 享年から逆算。「ブリタニカ国際百科事典」
  3. ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊266頁
  4. ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊269頁
  5. ^ 「北条九代記」「武家年代記」、『史料総覧』5編905冊400頁
  6. ^ 「勘注記」、『史料総覧』5編905冊405頁
  7. ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊437頁
  8. ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊452頁
  9. ^ a b 「吉続記」、『史料総覧』5編905冊483頁
  10. ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊485頁
  11. ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊500頁

参考文献

[編集]
  • 東京大学史料編纂所『史料総覧』