二階堂行藤
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 正嘉元年(1257年) |
死没 | 正安4年8月22日(1302年9月14日) |
改名 | 道暁→道我(法名) |
官位 | 使宣旨、左衛門尉、出羽守、従五位上 |
幕府 | 鎌倉幕府 引付衆、政所執事、東使、越訴奉行、引付頭人 |
氏族 | 藤原南家乙麻呂流 二階堂氏 |
父母 | 父:二階堂行有 |
兄弟 | 行藤、行俊(養子) |
子 | 時藤、貞藤、宗藤、雅藤、藤村、澄有[1] |
二階堂 行藤(にかいどう ゆきふじ)は、鎌倉時代中期の武士。鎌倉幕府政所執事。
略歴
[編集]弘安5年(1282年)引付衆[3]となり、11月使宣旨・左衛門尉を受ける[4]。正応元年(1288年)出羽守となり、永仁元年(1293年)10月罷免された二階堂行貞に代わって政所執事となる[5]。永仁2年(1294年)2月、東使として京へ上る[6]。 永仁6年(1298年)越訴奉行[7]、 正安元年(1299年)引付頭人[8]と北条得宗が権力を握る中、昇進を重ねる。正安3年(1301年)東使として上京し[9]、持明院統の後伏見天皇に譲位を奏上した[9]。結果、幕府の圧力を受けた天皇は大覚寺統の後二条天皇に譲位した。
正安4年(1302年)8月22日死去。享年57[10]。死後、政所執事には二階堂行貞が復帰した[11]。
脚注
[編集]- ^ 「尊卑文脈」
- ^ 享年から逆算。「ブリタニカ国際百科事典」
- ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊266頁
- ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊269頁
- ^ 「北条九代記」「武家年代記」、『史料総覧』5編905冊400頁
- ^ 「勘注記」、『史料総覧』5編905冊405頁
- ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊437頁
- ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊452頁
- ^ a b 「吉続記」、『史料総覧』5編905冊483頁
- ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊485頁
- ^ 「北条九代記」、『史料総覧』5編905冊500頁
参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所『史料総覧』