二橋謙
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二橋 謙(ふたはし けん、1857年4月5日〈安政4年3月11日〉 - 1903年〈明治36年〉12月)は、日本の外務官僚。
人物
[編集]陸奥国の一関藩(現在の岩手県一関市)の藩士の二橋家に生まれる。
明治維新後、東京外国語学校に入学し、ロシア帝国に留学経験がある市川文吉の指導を受ける[1]。同校卒業後、外務省に入省。貿易事務官としてロシアのウラジオストクに駐在するなどした。ロシア語に長けており、『日露辞書』を著した[2]。
官歴
[編集]- 外務二等書記生
- 外務四等属
- 往復課長交際官試補
- 1888年(明治21年)7月10日 - 記録局次長内藤類次郎旅行不在中臨時代理[3]
- 1889年(明治22年)11月5日 - 任 貿易事務官、叙 奏任官五等[4]
- 1897年(明治30年) - ウラジオストク駐在貿易事務官
- 1900年(明治33年)1月31日 - 蹄朝 仰付[6]
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
- 1893年(明治26年)8月25日 - ロシア帝国神聖スタニスラス第二等勲章[12]
- 1898年(明治31年)7月27日 - ロシア帝国神聖アンナ第二等勲章[13]
- 1900年(明治33年)5月21日 - プロイセン王国赤鷲第三等勲章[14]
書籍
[編集]- 『日露字典』 1904 二橋謙(編纂) 丸善(出版)[15]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 宮永孝「幕末ロシア留学生 市川文吉のこと」『社会労働研究』第37巻第4号、法政大学社会学部学会、1991年3月、136頁、CRID 1390853649758375040、doi:10.15002/00006811、hdl:10114/5956、ISSN 0287-4210。
- ^ コトバンク
- ^ 『官報』第1509号「叙任及辞令」1888年7月11日。
- ^ 『官報』第1909号「叙任及辞令」1889年11月7日。
- ^ 『官報』第4345号「叙任及辞令」1897年12月23日。
- ^ 『官報』第4973号「叙任及辞令」1900年2月2日。
- ^ 『官報』第2276号「叙任及辞令」1891年2月3日。
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
- ^ 『官報』第4096号「叙任及辞令」1897年3月2日。
- ^ 『官報』第6147号「叙任及辞令」1903年12月26日。
- ^ 『官報』第3108号「叙任及辞令」1893年11月7日。
- ^ 『官報』第4528号「叙任及辞令」1898年8月3日。
- ^ 『官報』第5080号「叙任及辞令」1900年6月11日。
- ^ 「国立国会図書館 二橋謙 蔵書」
- ^ 『市川兼恭』温知会, 1941, p95