亀田八幡宮
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亀田八幡宮 | |
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鳥居(1847年奉納) | |
所在地 | 北海道函館市八幡町3-2 |
位置 | 北緯41度47分29.6秒 東経140度44分11.6秒 / 北緯41.791556度 東経140.736556度座標: 北緯41度47分29.6秒 東経140度44分11.6秒 / 北緯41.791556度 東経140.736556度 |
主祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 伝・1390年(明徳元年) |
本殿の様式 | 流権現造 |
例祭 | 9月15日 |
主な神事 | 松前神楽 |
地図 |
亀田八幡宮(かめだはちまんぐう)は、北海道函館市八幡町にある神社。旧社格は郷社。祭神は誉田別命。
歴史
[編集]創建年は諸説あり、松前藩の記録『福山秘府』によれば「時期不明」とあり[1]、1690年(元禄3年)の神社調では「今から100年前くらいからある」となっている[2]。一方、神社の由緒では、1390年(明徳元年)、河野加賀守森幸が氣比神宮から八幡神を奉遷したと伝わる[1]。なお北海道神社庁では、奉遷したのは越前国の笠原右源太としている[3]。
コシャマインの戦いの際、武田信広が祈願したところ、七重浜に生えていた柏が軍勢に見えたため、アイヌが降伏したとの伝説がある[4]。その後、1594年(文禄3年)に松前藩の祈願所となり、1603年(慶長8年)に松前盛広により本殿が建立された[3][2]。
1847年(弘化3年)、松前藩の箱館奉行であった工藤茂五郎により石造の鳥居が奉納される[2]。1862年(文久2年)、社殿を改築。この社殿は1964年(昭和39年)に現社殿が建立された際に移設され、現在は神輿殿として使われており、現存する函館最古の建物である[2]。
1869年(明治2年)5月の箱館戦争で戦場となり、社務所が焼かれ神輿殿には弾痕が残る[5]。同年5月17日には、榎本武揚らが近くの民家で新政府軍と降伏交渉を行った後、本神社を訪れ、降伏を誓約した[6]。明治初期には函館八幡宮と「崇敬社」の社号を巡って対立したが、開拓使により街の中心にあり氏子数も多い函館八幡宮が崇敬社と定められる[7]。1876年(明治9年)、郷社に指定された[3]。
境内外末社
[編集]アクセス
[編集]函館バス「宮前町」徒歩5分。
脚注
[編集]- ^ a b “函館市史通説編第1巻”. 函館市. pp. 407-408. 2015年11月22日閲覧。
- ^ a b c d 元木省吾『新編=函館町物語』幻洋社、1987年、70頁。ISBN 4-906320-02-3。
- ^ a b c 北海道神社庁
- ^ 北海道新聞社 編『はこだて歴史散歩』北海道新聞社、1982年、232頁。ISBN 4-89363-315-5。
- ^ 竹内収太『箱館戦争』五稜郭タワー、1983年、212頁。
- ^ 菊池明・伊東成郎 編『箱館戦争全史下巻』新人物往来社、1998年、305頁。ISBN 4-404-02573-4。
- ^ “函館市史通説編第2巻”. 函館市. pp. 1333-1334. 2015年11月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 函館市『函館市史』
- “亀田八幡宮”. 北海道神社庁. 2015年11月22日閲覧。
関連項目
[編集]- 川濯神社 (函館市根崎町) - 函館市根崎町にある神社。祭礼の一部の執行、破魔矢など縁起物の提供を行っている。
外部リンク
[編集]- 亀田八幡宮 - 函館市公式観光情報『はこぶら』