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九条忠高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
九条忠高
時代 鎌倉時代
生誕 建暦元年(1211年
死没 建治2年5月4日(1276年6月17日
改名 忠高→専信(法名)
官位 正二位中納言民部卿
主君 順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇
氏族 藤原北家勧修寺流九条家
父母 父:二条定高、母:藤原親雅の娘
兄弟 忠高九条有経和徳門院女房按察、花山院定雅室、吉田為経室、姉小路顕朝室、尚侍家女房中納言局、一条実経
九条高俊、九条高長、九条定光、九条定忠、九条高朝、定暁、光信、女子(東一条院女房中納言局)、女子、女子、女子
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九条 忠高(くじょう ただたか、建暦元年〈1211年〉 - 建治2年〈1276年〉)は、鎌倉時代の公卿。正二位中納言民部卿。父は按察使二条定高、母は参議藤原親雅女。

経歴

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以下、『公卿補任』および『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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  • 父:二条定高(1190-1238)
  • 母:参議藤原親雅の娘
  • 妻:不詳
    • 男子:九条高俊
    • 男子:九条高長
    • 男子:九条定光
    • 男子:九条定忠
    • 男子:九条高朝
    • 男子:定暁
    • 男子:光信
    • 女子:東一条院女房中納言局
    • 女子
    • 女子
    • 女子

脚注

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  1. ^ 東一条院御給。
  2. ^ 臨時
  3. ^ 大進は元の如し。勘解由次官を去る。
  4. ^ 佐と大進は元の如し。
  5. ^ 同日、蔵人に補される。
  6. ^ 中宮大進を去る。
  7. ^ 石清水賀茂行幸行事の賞。

参考文献

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