久津知子
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久津知子 女流三段 | |
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名前 | 久津知子 |
生年月日 | 1972年11月23日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1992年10月1日(19歳) |
引退年月日 | 2018年3月31日(45歳) |
女流棋士番号 | 15 |
出身地 | 北海道札幌市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 勝浦修九段 |
段位 | 女流三段 |
女流棋士DB | 久津知子 |
戦績 | |
通算成績 | 118勝178敗 0.3986[1] |
2023年4月3日現在 |
久津 知子(ひさつ ともこ、1972年11月23日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。勝浦修九段門下。女流棋士番号は15(2011年3月31日までは31)。北海道札幌市出身。2018年3月31日に現役を引退。
棋歴
[編集]北海道札幌星園高等学校[2]在学中は、父が経営する将棋クラブと同じフロアに住み、学校以外は将棋漬けの日々だった[3]。
1989年、第25回高校選手権女子個人戦で優勝[4]。1990年、女流育成会に入会し、月に一度北海道と東京の間を往復する。そして、二十歳を迎える1992年の秋にプロデビューし、勝浦修門。女流棋士会からプロへの昇格枠が2名から1名に減らされたことが、かえって将棋への集中につながったという[3]。
1993年度、初参加の第20期女流名人位戦C級リーグで、早速B級に昇格する。その後、不調の期間が続いたが、2000年度、第28期女流名人位戦予選[5]を勝ち抜き、久々にB級復帰。
2003年度、第26期女流王将戦で予選を抜け、本戦でも1勝を挙げる。
第16期(2005年度)女流王位戦で、初のリーグ入り。矢内理絵子に勝利するが、2勝3敗でリーグ残留失敗。
第33期(2006年度)女流名人位戦で2度目のB級復帰。
第3期(2009年度)マイナビ女子オープンで、本戦初出場。
人物
[編集]久津は師匠の勝浦修と同じ北海道出身であり、棋士の野月浩貴と金沢孝史も北海道出身で勝浦門下である。久津は北海道における将棋の普及に、特別な思いを持っている[3][4]。
なお、北海道出身以外の同門の棋士には、十八世名人の資格を持つ森内俊之や広瀬章人がいる。
昇段昇級履歴
[編集]- 1990年女流育成会入会 -
- 1992年10月 1日 - 女流2級(女流育成会1位)
- 1994年 4月 1日 - 女流1級(女流名人位戦B級リーグ入り)[6]
- 2001年 4月 1日 - 女流初段(年間13局指し分け以上〈7勝以上〉/2000年度 8勝4敗、女流通算57勝69敗)[6][7][8][注 1]
- 2016年 6月29日 - 女流二段(勝数規定/女流初段昇段後60勝、女流通算117勝)[9]
- 2018年 3月31日 - 引退(女流棋士引退規定)[10]
- 2023年 4月 1日 - 女流三段(引退女流棋士昇段規定)[11]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “女流棋士通算成績(2018年3月31日現在)”. 日本将棋連盟 (2018年3月31日). 2018年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月31日閲覧。
- ^ 2010年に閉校。
- ^ a b c “リレーエッセイVol.21 久津知子”. 日本将棋連盟女流棋士会. 2006年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月31日閲覧。
- ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ C級リーグの制度廃止後。
- ^ a b c 「女流棋士昇段規定」『日本将棋連盟』。2001年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「2001年4月1日付・昇段昇級者」『日本将棋連盟』。2001年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ a b 「2000年度女流棋士成績一覧|日本将棋連盟」『日本将棋連盟』。2016年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「久津知子女流初段が女流二段に昇段」『日本将棋連盟』2016年6月29日。
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2018年3月30日). 2018年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月31日閲覧。
- ^ “昇段・引退・休場棋士のお知らせ”. 日本将棋連盟. 2023年4月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部サイト
[編集]- 日本将棋連盟 プロフィール
- 久津知子 (@vXleXchqWENB46I) - X(旧Twitter)