久下豊忠
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久下 豊忠(くげ とよただ、明治3年4月8日[1](1870年5月8日) - 昭和12年(1937年)12月10日[2])は、日本の衆議院議員、ジャーナリスト。
経歴
[編集]紀伊国那賀郡上名手村(現在の和歌山県紀の川市)の三井家に生まれ、久下純菴の養子となった[1]。英仏学舎、大阪英学舎に学ぶ[2]。1893年(明治26年)、読売新聞社の記者となった[1]。1897年(明治30年)、和歌山新報社に入り、主筆、社長を歴任した[1]。1899年(明治32年)より和歌山県会議員を務めた。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
著書
[編集]- 『軍国主義』(文昌堂、1896年)
出典
[編集]参考文献
[編集]- 山崎伝之助 編『和歌山県人材録 前編』和歌山日日新聞社印刷部、1920年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。