山崎伝之助
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山崎 伝之助(やまざき でんのすけ、明治4年6月8日(1871年7月25日) - 昭和16年(1941年)2月7日)は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]和歌山県有田郡糸我村(現在の有田市)出身。1900年(明治33年)に日本法律学校(現在の日本大学)を卒業した。帰郷後、南海公論社、ついで和歌山日日新聞社を創設し、社長に就任した。1915年(大正4年)からは和歌山県会議員を務めた[1]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙でも再選された。
著書
[編集]- 『和歌山県人材録』(1920年、和歌山日日新聞社)
- 『大言壮語録』(1921年、和歌山日日新聞社)
- 『世相録』(1932年、酒と人生社)
- 『新聞人之声』(1938年、和歌山日日新聞社)
脚注
[編集]- ^ 角屋謹一『普選議会の重なる人々 - 政界人物評伝(野党の巻)』、文王社、1928年
参考文献
[編集]- 『昭和之新帝国』御即位紀念誌刊行会、1929年。