コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

串良駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
串良駅
駅跡と記念碑(2018年3月)
くしら
Kushira
東串良 (0.6 km)
(2.2 km) 下小原
地図
所在地 鹿児島県肝属郡串良町岡崎
北緯31度23分16.38秒 東経130度57分33.20秒 / 北緯31.3878833度 東経130.9592222度 / 31.3878833; 130.9592222座標: 北緯31度23分16.38秒 東経130度57分33.20秒 / 北緯31.3878833度 東経130.9592222度 / 31.3878833; 130.9592222
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 大隅線
キロ程 16.8 km(志布志起点)
電報略号 クラ
ホーム 1面1線
開業年月日 1921年大正10年)8月11日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)3月14日[1]
備考 路線廃止に伴う廃駅
テンプレートを表示

串良駅(くしらえき)は、鹿児島県肝属郡串良町岡崎(現在の鹿屋市串良町岡崎)にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)大隅線廃駅)である。大隅線の廃止に伴い、1987年昭和62年)3月14日に廃駅となった[1]

歴史

[編集]

地元の軽便鉄道会社である大隅鉄道が鹿屋側から延伸してきた際に、その終点として1921年大正10年)8月11日に開業した。当時は762 mm軌間の鉄道であった。また貨物営業のない旅客駅であった。その後、大隅鉄道の経営難と、孤立した路線で運営していた鉄道を国鉄につなげる必要性などから国鉄による鉄道買収を要請する運動が行われ、1935年昭和10年)6月1日に軽便鉄道のままで国鉄に買収され、国鉄古江線の終点の駅となった。

志布志線志布志駅とつなぐ路線は国鉄によって建設が進められ、1936年(昭和11年)10月23日に古江東線として開通した。古江東線は国鉄標準の1,067 mm軌間で建設されたため、串良駅では乗換が行われるようになった。その後、大隅鉄道が建設した区間の改軌工事が進められ、1938年(昭和13年)10月10日に完成して列車の直通がなされるようになった。

第二次世界大戦1948年(昭和23年)4月10日には駅舎の改築を行い、軽便鉄道規格であった停車場有効長の延長を行うと共に側線を設置して貨物営業も行う一般駅となった。しかし貨物営業は長く続かず、1962年(昭和37年)には旅客駅に再び戻った。1987年(昭和62年)3月14日に大隅線の廃止に伴い、廃駅となった。

年表

[編集]

駅構造

[編集]

木造駅舎島式ホーム1面1線を有する地上駅だったが、かつては島式ホーム1面2線を有していた(駅舎側の線路は撤去されていた)。

現状

[編集]

1989年平成元年)に日本国有鉄道清算事業団から跡地の払い下げを受けて、1990年(平成2年)に町が串良鉄道記念公園を設置した。当時の町長が碑文を書いた「大隅線のあゆみ」という記念碑を設置し、プラットホームや踏切ディーゼルカーなどが展示された。しかし2003年(平成15年)にプラットホーム・踏切・ディーゼルカーは撤去され、跡地は駐車場となっている。他は鉄道をモチーフにした遊具を置いた児童遊園となっている。

その他

[編集]
  • 隣の東串良駅との間は600 mしかなく、列車に乗り遅れても走って追いかければ間に合ったというエピソードが知られている。

隣の駅

[編集]
日本国有鉄道
大隅線
東串良駅 - 串良駅 - 下小原駅

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、780頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 「運輸省告示第116号」『官報』1948年4月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 日誌(昭和37年度12月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度12月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年3月、doi:10.11501/2267839 
  4. ^ 「通報 ●福知山線石生駅ほか147駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1985年3月12日、15-16面。

参考文献

[編集]
  • 串良町教育委員会社会教育課『串良町郷土誌』 2005年

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]