中里斉
表示
中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日[1] - 2010年7月18日[1])は、日本の画家。東京都生まれ[1]。ニューヨークにて制作活動をした。2010年、製作中の不慮の事故により急逝した。
経歴
[編集]東京府南多摩郡忠生村(現 東京都町田市)生まれ[1]。1948年桜美林中学校に入学[1]、1954年桜美林高等学校を卒業[1]。1956年多摩美術大学美術学部絵画科(油画)に入学し[1]、大沢昌助らに師事[1]。1960年同大学卒業[1]。半年ほど『北海タイムス』の美術記者として勤務した後[1]、桜美林学園の専任講師となる[1]。1962年アメリカに渡り[1]、ウィスコンシン大学大学院(絵画専攻、版画副専攻)に入学[1]。1964年ミルウォーキーのセント・ジェームス・ギャラリーで初個展を開催[1]。同年ペンシルベニア大学美術大学院入学し[1]、ピエロ・ドラツィオ、ニール・ウエリバーらに学ぶ[1]。1966年ロックフェラーⅢ世基金奨学金を受け、ニューヨークに移る[1]。
1968年多摩美術大学専任講師[1]。1970年7月第5回ジャパン・アート・フェスティバルで優秀賞(文部大臣賞)を受賞し[1]、同年8月第14回シェル美術賞展で佳作賞を受賞する[1]。大学紛争による緊張状態から体調を崩し、1971年に再渡米、ペンシルベニア大学美術大学院で版画の専任講師となる[1]。ペンシルベニア大学美術学部長を歴任した[1]。
2010年7月15日、自宅スタジオの脚立から落ちて頭部を強打し、病院に搬送されたが、意識を取り戻すことなく7月17日午後11時31分に死去[2]。
主な個展
[編集]- 原美術館、東京、1987
- 東京画廊、東京、1993/1997
- ギャラリー・クラヌキ、大阪、1992/1998
- ギャラリー・ジュリエット、トリエステ、イタリア、1999
- 村松画廊、1996/2000
- エリクソン画廊、フィラデルフィア、1999/2001
- モントピリアー文化芸術センター、ワシントンDC、2002
- ルイジアナ工業大学、ルイジアナ
- 町田市国際版画美術館、東京、2010
主なグループ展
[編集]- 「アスペクト、1979 - 1994」原現代美術館、群馬、1994
- 「絵画の構造―現代日本のストライプ」文房堂画廊、東京、1994
- 「矩型の森―思考するグリット」埼玉県立近代美術館、浦和、1995
- 「東京芸術シリーズNO.7、線について、不在のモダニズム/不可視のリアリズム」板橋区立美術館、東京、1995
- 「60, 70, 80年代の日本の絵画」村松画廊、東京、2000
- 「2000年20の版画展」フィッシャー画廊、バード大学、ニューヨーク、2000
- 「現代日本版画展」チコチン美術館、ハイファ、イスラエル、1998/2002
壁画制作
[編集]パブリック・コレクション
[編集]- ニューヨーク近代美術館
- フィラデルフィア美術館
- 京都国立近代美術館
- ペンシルベニア美術アカデミー(フィラデルフィア)
- 兵庫県立近代美術館(神戸)
- ブルックリン美術館
- ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンDC)
- 国立国際美術館
- 東京都美術館
- 栃木県立美術館(宇都宮)
- 原美術館(東京)
- 高松市立美術館
- 静岡県立美術館
- 国際交流基金(東京)
- 大原美術館(倉敷)
- バーミングハム美術館(アラバマ)
- 岡山県立美術館
- ティコティン日本美術館(ハイファ、イスラエル)
- 世田谷美術館
- 和歌山県立近代美術館
- 町田市立国際版画美術館(東京)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “中里斉 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所. 2022年5月29日閲覧。
- ^ 中里斉先生ご逝去 - 彦坂尚嘉の《第100次元》アート、2010年7月18日