中西耕石
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中西 耕石(なかにし こうせき、1807年(文化4年) - 1884年(明治17年)1月9日)は、江戸時代後期から明治時代の日本画家。筑前国芦屋中小路(福岡県芦屋町)出身。名を寿平、後に寿。字は亀年。別号に竹叟、筌岡など。山水画、花鳥画に優品を残した。
経歴
[編集]生家は陶工とも紺屋とも言われるがはっきりしない。若くして上洛し、京都で松村景文に師事し四条派を学ぶと、大坂に出て漢学の篠崎小竹の門下となり、再び京都に戻ると小田海僊に南画を学び名声を得て、1882年(明治15年)には、京都府画学校の教授に就任した。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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江村雨後・溪山雪霽図屏風 | 紙本墨画淡彩 | 六曲一双 | 155.0x363.0(各) | 個人[1] | 1856年(安政3年) | ||
渓山雪霽図 | 絹本著色 | 1幅 | 119.3x51.2 | 下関市立美術館 | 1862年(文久2年) | ||
秋渚晩霽図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 128.9x50.0 | 泉屋博古館 | 1873年(明治6年)[2] | ||
桃花流水図 | 絹本著色 | 1幅 | 152.7x84.3 | 泉屋博古館 | 江戸後期から明治時代 | 款記「桜花流水/曽見王石谷有此本/耕石道人寫意」/「壽平」朱文方印。「西壽」白文方印[3] | |
四季山水図屏風 | 紙本墨画淡彩 | 二曲一双押絵貼 | 桑名市博物館[4] | ||||
竜虎図屏風 | 紙本墨画 | 二曲一隻 | 154.5x173.0 | 個人(八幡市立松花堂美術館寄託) | 明治時代 |
その他
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 渡邊善造「南画家中西耕石」[要文献特定詳細情報]