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中澤聡太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中澤 聡太
名前
愛称 ソウタ[1]
カタカナ ナカザワ ソウタ
ラテン文字 NAKAZAWA Sota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-10-26) 1982年10月26日(42歳)
出身地 東京都三鷹市[2]
身長 188cm
体重 79kg
選手情報
ポジション DF (CB)[1]
利き足 右足[1]
ユース
1998-2000 日本の旗 市立船橋高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006 日本の旗 柏レイソル 29 (0)
2006 日本の旗 FC東京 (loan) 2 (0)
2007 日本の旗 ガンバ大阪 (loan) 2 (0)
2008-2012 日本の旗 ガンバ大阪 134 (14)
2013-2015 日本の旗 川崎フロンターレ 30 (1)
2015 日本の旗 セレッソ大阪 (loan) 9 (0)
2016 日本の旗 セレッソ大阪 3 (0)
通算 209 (15)
代表歴
2000-2001  日本 U-19/20 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中澤 聡太(なかざわ そうた、1982年10月26日 - )は、東京都三鷹市出身の元プロサッカー選手日本サッカー協会登録仲介人。現役時代のポジションはディフェンダー。(センターバック)。妻はタレント金田美香

来歴

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東京都三鷹市に生まれ、物心つく前に引っ越した埼玉県朝霞市で育つ[3]。中学生時には浦和レッズジュニアユースに加入し、3年時にはユースへの昇格が確実視されていたが[4]、 同年の高円宮杯で浦和ユースが東福岡高校に大敗したことから高校サッカーに臨むことを決め、1998年にトレセンで知り合った西紀寛[4] が在学する市立船橋高校へ進学。2年生時には羽田憲司とセンターバックを組んで高校選手権に出場。6試合無失点の堅守で勝ち上がり、決勝の鹿児島実業戦では永井俊太のコーナーキックに高い打点のヘディングを合わせて決勝点を挙げ、優勝を果たした[5][6]。高校の同期には永井、本橋卓巳植草裕樹らがいる。3年生時には強化指定選手として柏レイソルに登録された。

2001年、西野朗監督率いる柏レイソルに入団[7]。同年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権では3試合に先発出場した。しかし、クラブでは3度の骨折など[4] 負傷が重なったこともあって試合に出られずにいた[8]。2005年には早野宏史監督の下で出場機会を得るが、翌2006年はJ2に降格したチームの中でも出番が与えられず、シーズン途中の6月に志願してFC東京期限付き移籍[2][8]。負傷した茂庭照幸に代わってベンチ入りするようになったが[9]、初の先発出場となった第25節新潟戦でPKを献上してしまった[10]。このシーズンは2試合の出場にとどまった。

2007年、西野が監督を務めるガンバ大阪に期限付き移籍[11]。西野からの期待は大きく[1] 2008年には完全移籍で加入し[12]、新加入の水本裕貴ミネイロらを押しのけて自身初めてシーズンを通してのレギュラーの座を掴み、ACL天皇杯などのタイトル獲得に貢献。ファン選出の同年度MVPを受賞した[13]

2009年は開幕から新加入のパク・ドンヒョクにポジションを譲るも、第8節FC東京戦以降は再びスターティングメンバーとして起用された。同年6月21日、金田美香との入籍を発表[14]。2010年1月9日、金田の26歳の誕生日に挙式・披露宴を行った[15]。同年10月3日、第一子となる長女が誕生した[16]。同年7月、J1第13節浦和戦でJリーグ100試合出場を記録。12月の天皇杯準々決勝・浦和戦では相手チームの選手と接触し負傷。「左精巣損傷」と診断された。2011年はDFながら5得点を挙げるが、守備面では安定感を欠いた[要出典]。2012年は7月に左腓骨遠位端骨折により4か月の戦線離脱を余儀なくされ、リーグ戦出場は18試合に留まり、クラブもJ2降格を喫した。

2013年、川崎フロンターレへ完全移籍[17]。怪我の完治が遅れ、戦術に適応しきれないまま開幕を迎えた[4]。シーズン半ばにかけて徐々に復調したが[4]、8月以降はDFジェシの復帰によって[要出典]先発から外れた[18]。 2015年1月7日にセレッソ大阪期限付き移籍することが発表された[19]。同年12月23日にセレッソへ完全移籍する事が発表された[20]。2016年シーズンをもち、契約満了のため退団[21][22]、この年限りで現役を退いた[23]

2017年より、古巣ガンバ大阪の強化スタッフ(スカウト担当)に就任した[23][24]。2018年12月28日をもってガンバ大阪を退社した[25]

2019年からジャパン・スポーツ・プロモーション所属の代理人として活動している。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴
  • 2001年 - 2007年 日本の旗 柏レイソル
    • 2006年6月 - 同年12月 日本の旗 FC東京 (期限付き移籍)
    • 2007年 日本の旗 ガンバ大阪 (期限付き移籍)
  • 2008年 - 2012年 日本の旗 ガンバ大阪
  • 2013年 - 2015年 日本の旗 川崎フロンターレ
    • 2015年 日本の旗 セレッソ大阪 (期限付き移籍)
  • 2016年 日本の旗 セレッソ大阪

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 5 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2002 1 0 0 0 0 0 1 0
2003 0 0 1 0 0 0 1 0
2004 9 0 6 0 1 0 16 0
2005 16 0 6 1 0 0 22 1
2006 J2 2 0 - - 2 0
FC東京 38 J1 2 0 0 0 0 0 2 0
2007 G大阪 2 2 0 5 0 1 0 8 0
2008 30 3 4 0 5 1 39 4
2009 26 0 2 1 5 0 33 1
2010 32 4 2 0 4 0 38 4
2011 27 5 2 0 1 0 30 5
2012 19 2 0 0 3 0 22 2
2013 川崎 7 20 1 7 0 3 0 30 1
2014 10 0 0 0 2 0 12 0
2015 C大阪 22 J2 9 0 - 1 0 10 0
2016 3 0 - 0 0 3 0
通算 日本 J1 195 15 35 2 25 1 255 18
日本 J2 14 0 - 1 0 15 0
総通算 209 15 35 2 26 1 270 18
  • 2000年度は強化指定選手としての公式戦出場はなし。

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2008 G大阪 2 11 0 3 0
2009 6 0 -
2010 6 1 -
2011 5 2 -
2012 6 0 -
2014 川崎 7 6 0 -
通算 AFC 40 3 3 0
その他の国際公式戦
出場歴

タイトル

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クラブ

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市立船橋高校
ガンバ大阪

個人

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  • 全国高校選手権 優秀選手 (2000年)[11]

代表歴

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 選手データベース 中澤聡太”. 2008年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月16日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  2. ^ a b 中澤聡太選手 期限付移籍加入のお知らせ”. 2006年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月16日閲覧。 FC東京 (2006年6月25日)
  3. ^ 「Humane FOOTBALLER」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2005年5月10日号 No.1024 57-59ページ。
  4. ^ a b c d e F-スポット SEASON 2013 / vol.11 川崎フロンターレ
  5. ^ 『国立ファイナル 全国高校サッカー選手権大会』ベースボール・マガジン社、2014年、72-73頁。 
  6. ^ 『高校サッカー 伝説の名勝負&プレイヤー列伝』カンゼン、2005年、134-138頁。 
  7. ^ 2001年シーズン新加入選手決定のお知らせ”. 2001年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月16日閲覧。 柏レイソル (2001年1月10日)
  8. ^ a b 中澤 聡太選手がFC東京へ期限付移籍 柏レイソル (2006年06月25日)
  9. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2006年12月2日)
  10. ^ 【J1:第25節】F東京 vs 新潟:試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2006年9月30日)
  11. ^ a b c d e 中澤 聡太選手がガンバ大阪へ期限付移籍 柏レイソル (2007年01月10日)
  12. ^ a b c 中澤 聡太選手 ガンバ大阪へ完全移籍 柏レイソル (2008年1月19日)
  13. ^ 2008 BMW提供ファンが選ぶ『MVP』を中澤選手が受賞! そして恒例の日刊スポーツ提供『黄金の脚』賞は二川選手に!”. 2014年1月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月14日閲覧。 ガンバ大阪 (2008年12月7日)
  14. ^ 報告します。 中澤聡太オフィシャルブログ、2009年6月21日
  15. ^ 1月9日 中澤聡太オフィシャルブログ、2010年1月10日
  16. ^ 誕生 中澤聡太オフィシャルブログ、2010年10月3日
  17. ^ 中澤聡太選手加入のお知らせ 川崎フロンターレ (2013年1月8日)
  18. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2013年12月7日)
  19. ^ 中澤聡太選手期限付き移籍のお知らせ 川崎フロンターレオフィシャルサイト (2015年1月7日閲覧)
  20. ^ 川崎フロンターレ 中澤聡太選手 完全移籍加入のお知らせ セレッソ大阪オフィシャルサイト (2015年12月23日閲覧)
  21. ^ “C大阪、DF中沢聡太と来季契約せず 今季出場は3試合”. スポニチアネックス. (2016年12月6日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/12/06/kiji/K20161206013858120.html 2016年12月6日閲覧。 
  22. ^ []https://www.cerezo.jp/news/2016-12-06/ 中澤聡太選手 契約満了のお知らせ] セレッソ大阪オフィシャルサイト (2016年12月6日閲覧)
  23. ^ a b 中澤聡太氏・青木良太氏 ガンバ大阪スタッフ就任のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2017年1月28日http://www.gamba-osaka.net/news/index/no/5384/2017年1月28日閲覧 
  24. ^ クラブスタッフ”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. 2017年12月30日閲覧。
  25. ^ 強化・アカデミー部の体制について』(プレスリリース)ガンバ大阪、2019年1月7日https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/89522019年11月19日閲覧 

外部リンク

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