中村五木
中村 五木 なかむら いつき | |
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生年月日 | 1949年10月30日 |
出生地 | 日本 熊本県球磨郡五木村 |
没年月日 | 2020年12月31日(71歳没) |
死没地 | 日本 熊本県天草市 |
出身校 | 熊本県立牛深高等学校 |
前職 |
地方公務員(牛深市) 天草市議会議員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
正五位 旭日小綬章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2014年4月11日 - 2020年12月31日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2006年4月23日 - 2013年12月 |
熊本県牛深市議会議員 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1986年7月 - 2006年3月26日 |
中村 五木(なかむら いつき、1949年(昭和24年)10月30日[1] - 2020年(令和2年)12月31日)は、日本の政治家。熊本県天草市長(2期)、天草市議会議員(2期)、牛深市議会議員(5期)などを務めた。
来歴
[編集]熊本県球磨郡五木村出身。1968年(昭和43年)3月に熊本県立牛深高等学校を卒業したのち、牛深市役所に入所[2]。
1986年(昭和61年)7月、牛深市議会議員に就任。計5回当選。
2006年(平成18年)3月27日、牛深市は、本渡市・天草郡有明町・御所浦町・倉岳町・栖本町・新和町・五和町・天草町および河浦町と合併し廃止。天草市が誕生する。同年4月23日に行われた天草市議会議員選挙に立候補し当選。2010年(平成22年)3月28日の同議会議員選挙で2選。2013年(平成25年)12月、市議を辞職[3]。
2014年(平成26年)3月23日に行われた天草市長選挙に無所属で立候補。現職の安田公寛市長を僅差で破り初当選した[4]。4月11日、市長就任[5]。選挙の結果は以下のとおり。
※当日有権者数:73,278人 最終投票率:78.32%(前回比:-0.22pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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中村五木 | 64 | 無所属 | 新 | 28,828票 | 50.77% | |
安田公寛 | 64 | 無所属 | 現 | 27,958票 | 49.23% |
2018年(平成30年)3月、無投票により再選[6]。
2020年(令和2年)12月30日、自宅で片付けをしている際に胸の痛みを訴え、天草市内の医療機関に救急搬送。その後さらに天草地域医療センターに搬送されたが、翌12月31日、急性心筋梗塞のため死去[7][8]。71歳没。死没日をもって正五位叙位、旭日小綬章追贈[9]。馬場昭治が市長選挙で初当選するまで、同市副市長の金子邦彦が市長職務代理者を務めた(地方自治法第152条第1項による)[8]。
政策・主張
[編集]- くまもとアートポリス事業での本庁舎建設を取りやめ、必要最小限の規模で本庁舎を建設する[10]。
- 市長の給与を30%、退職金を2,088万円削減する[10]。
- 観光拠点イルカセンター(仮称)の建設、「道の駅」登録を推進する[10]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、415頁。
- ^ 市長プロフィール / 天草市
- ^ “選挙:天草市長選 中村市議出馬へ /熊本”. 毎日新聞. (2013年12月10日) 2015年6月9日閲覧。
- ^ “選挙:天草市長選/天草市議選 市長選、中村さん初当選 一夜明け抱負「変えるべき点は改革」 /熊本”. 毎日新聞 (2014年3月25日). 2015年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月31日閲覧。
- ^ 市町村長・議員の任期満了日等に関する調べ(H27.3.2現在の表)
- ^ 現職・中村氏が無投票再選 天草市長選 (熊本日日新聞 2018年3月23日) - ウェイバックマシン(2018年3月23日アーカイブ分)
- ^ “<速報>中村五木天草市長が死去”. 熊本日日新聞. (2020年12月30日) 2020年12月30日閲覧。
- ^ a b “天草市中村五木市長の死去について”. 天草市 (2020年12月31日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ 『官報』第426号12頁 令和3年2月4日号
- ^ a b c 天草市 中村五木 » 政策
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 安田公寛 |
熊本県天草市長 2014年 - 2020年 |
次代 馬場昭治 |