中山政信
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保19年(1734年) |
死没 | 明和8年6月13日(1771年7月24日) |
改名 | 虎次郎(幼名)→政信 |
墓所 | 埼玉県飯能市の智観寺 |
官位 | 従五位下・備前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川宗翰→治保 |
藩 | 常陸太田藩主 |
氏族 | 中山氏 |
父母 | 父:中山信昌 |
兄弟 |
信錦、政信、常信、篤信、 中山直秀正室、鈴木直賢室、 竹中元長室、筑紫安門継室 |
妻 | 松平信岑娘 |
子 |
中山信敬正室 養子:信敬[1] |
中山 政信(なかやま まさのぶ)は、江戸時代中期の常陸国太田藩4代当主。水戸藩附家老・中山家9代。官位は従五位下・備前守。
略歴
[編集]3代当主・中山信昌の三男として誕生した。幼名、虎次郎。
寛保3年(1743年)7月、父の死により同年8月15日家督を相続した。寛延元年(1748年)5月6日、従五位下・備前守に叙任。
明和8年(1771年)没した。跡を養子の信敬が継いだ。墓所は埼玉県飯能市の智観寺。
系譜
[編集]父母
正室
- 留代 - 松平信岑の娘、松平庸倫の娘
側室
- 柳澤氏
子女