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中山信順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中山 信順(なかやま のぶより、元禄9年(1696年)- 正徳2年1月21日1712年2月27日))は、常陸国太田藩の第2代当主。水戸藩附家老・中山家7代。第5代当主・中山信成の長男。母は側室岩根氏。官位は従五位下、市正。

元禄16年(1703年)、父・信成が死去した。信順が幼少だったため、家督は叔父の信敏が継いだものの、正徳元年(1711年)3月にはその信敏が33歳で死去する。同年4月に信順が家督を継ぎ、同年6月27日、従五位下・市正に叙任した。しかし、翌正徳2年(1712年)1月21日に16歳で死没して子がなかったため、旗本・堀田家から信昌を信順の妹婿かつ養子に迎えて跡を継がせた[1]。墓所は埼玉県飯能市の智観寺。

系譜

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父母

養子、養女

脚注

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  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X