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中山久四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山 久四郎
人物情報
生誕 (1874-02-10) 1874年2月10日
日本の旗 日本長野県北佐久郡馬瀬口村
死没 1961年9月7日(1961-09-07)(87歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 東洋史
研究機関 東京文理科大学、満州国軍学校、文部省
学位 文学博士
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中山 久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日1961年9月7日)は、日本東洋史学者学位は、文学博士東京帝国大学・1925年)。東京高等師範学校教授・東京文理科大学教授を歴任。

経歴

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1874年、長野県北佐久郡馬瀬口村(現御代田町)で生まれた。長野県尋常中学校官立第一高等中学校を経て、東京帝国大学文科史学科に入学1899年に卒業し、同大学大学院で東洋史学を専攻した。その後、ドイツに留学。

1905年、広島高等師範学校教授に就任。1907年、東京高等師範学校教授となり、1929年からは東京文理科大学教授。退官後は満州国軍学校に勤務したが帰国し、東京帝国大学、日本大学駒澤大学明治大学等で講師を務めた。文部省の教員検定委員、視学委員となり、教育行政にも助力。歴史研究会長として1926年雑誌『歴史教育』を創刊。戦時中は休刊したが、戦後の1953年に復刊させた。

研究内容・業績

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東洋史の教育的普及に努め[1]、辞典など工具書の編集にも携わった。

中山久四郎旧蔵書ならびに書簡

東京都立図書館に中山の旧蔵書が文庫として収蔵されている[2][3]。また、徳富蘇峰宛の書簡8通が残り、徳富蘇峰記念館に収蔵されている[4]

家族・親族

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著作

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著書
  • 『東洋史講座 第1巻 総論及史籍問題』雄山閣 1929
  • 『支那史籍上の日本史 大日本史講座』雄山閣 1930
  • 『東洋史講座 第4巻 東洋文化渾成時代』雄山閣 1930 
  • 『東洋史講座 第5巻 北方民族躍動時代』雄山閣 1930
  • 『歴史及歴史教育』共立社書店 1930
  • 『支那の人文思想』春秋社 1931
  • 『読史広記』章華社 1933
  • 『史学及東洋史の研究』賢文館 1934
  • 『日本文化と儒教』刀江書院(歴史教育叢書) 1935
  • 山鹿素行』北海出版社(日本教育家文庫) 1937
  • 『支那の今戦場を語る』日本外交協会 1938
  • 『満洲大豆考』満洲冨山房 1944
  • 『新東洋史』富士書店 1949
共著編
  • 『東洋史辞典』編 雄山閣 1935
  • 『日本先哲叢書』第1 聖教要録・配所残筆・武教小学・武教本論、山鹿素行校註、広文堂書店 1936 
  • 戦陣訓本義』井上哲次郎共著 広文堂書店 1941
  • 『模範辞典』編 金鈴社 1951
  • 神武天皇と日本の歴史』編 小川書店 1961
  • 国語辞典』金園社 1963

参考資料

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脚注

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