中尾博之
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中尾博之(なかお ひろゆき、1917年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵省理財局長、国家公務員共済組合連合会理事長、小川原開発会社副社長などを歴任。
来歴
[編集]東京府出身。高等文官試験行政科を合格[1]。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1940年 大蔵省入省。銀行局属[1]。1949年6月 主計局共済課長。同年8月 主計局共済課長兼主計局主計官(内閣、地方財政、労働担当)。1952年8月 行政管理庁管理部管理官。1955年8月:主計局主計官(歳入・特別機関、総理府、司法、大蔵担当)。1956年7月 主計局法規課長。1957年6月 主計局総務課長。1960年9月8日 東海財務局長。1962年5月16日 近畿財務局長。1963年4月22日 主計局次長(筆頭)。1964年3月20日 主計局次長(筆頭)兼主計局主計官(地方財政・補助金担当)。同年7月6日:主計局次長(筆頭)。1965年6月18日 理財局長。1967年8月15日 退官。同年9月 国家公務員共済組合連合会理事長(〜1970年5月)。1971年3月 小川原開発会社専務取締役。同年10月 同社副社長。
略歴
[編集]- 1940年4月:大蔵省入省。銀行局属。
- 1941年6月:外務省東亜局東亜第一課中華民国出張駐在。
- 1942年5月:銀行局。
- 1942年7月:興亜院華中連絡部財務局。
- 1942年10月:興亜院調査官。
- 1942年11月:興亜院中華民国大使館調査官・上海出張駐在。
- 1942年12月:興亜院財務部財政課。
- 1943年11月:主計局。
- 1946年12月:主計局 兼 経済安定本部第四部。
- 1947年5月:主計局。
- 1948年11月:給与局第三課長 兼 主計局主計官。
- 1949年6月:主計局共済課長。
- 1949年8月:主計局共済課長 兼 主計局主計官(内閣、地方財政、労働担当)。
- 1950年5月:経済安定本部建設交通局公共事業課長。
- 1952年8月:行政管理庁管理部管理官。
- 1955年8月:主計局主計官(歳入・特別機関、総理府、司法、大蔵担当)。
- 1956年7月:主計局法規課長。
- 1957年6月:主計局総務課長。
- 1960年9月8日:東海財務局長。
- 1962年5月16日:近畿財務局長。
- 1963年4月22日:主計局次長(筆頭)。
- 1964年3月20日:主計局次長(筆頭) 兼 主計局主計官(地方財政・補助金担当)。
- 1964年7月6日:主計局次長(筆頭)。
- 1965年6月18日:理財局長。
- 1967年8月15日:退官。
脚注
[編集]官職 | ||
---|---|---|
先代 佐竹浩 |
大蔵省理財局長 1965年 - 1967年 |
次代 鳩山威一郎 |
先代 谷村裕 |
大蔵省主計局次長(筆頭) 1963年 - 1965年 |
次代 鳩山威一郎 |
先代 佐々木庸一 |
近畿財務局長 1962年 - 1963年 |
次代 岸本好男(心得) 青山俊 |
先代 岩動道行 近藤丈夫(心得) |
東海財務局長 1960年 - 1962年 |
次代 塩谷忠男 |
先代 村上孝太郎 |
大蔵省主計局総務課長 1957年 - 1960年 |
次代 大村筆雄 |