中佐治村
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なかさじそん 中佐治村 | |
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廃止日 | 1910年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 口佐治村、中佐治村、上佐治村 → 佐治村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,282人 (鳥取県統計書、1909年) |
隣接自治体 | 口佐治村、上佐治村、社村、五総村、明治村 |
中佐治村役場 | |
所在地 | 鳥取県八頭郡中佐治村大字加瀬木村 |
座標 | 北緯35度19分46秒 東経134度06分50秒 / 北緯35.32953度 東経134.11386度座標: 北緯35度19分46秒 東経134度06分50秒 / 北緯35.32953度 東経134.11386度 |
特記事項 | 座標は現在の佐治町総合支所位置 |
ウィキプロジェクト |
中佐治村(なかさじそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは智頭郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市佐治町加瀬木・佐治町高山・佐治町津野に相当する。千代川水系佐治川流域に位置した。
村名は佐治谷の中間部に位置することによる[1]。
藩政時代には鳥取藩領の智頭郡佐治郷(さじのごう)に属する 加瀬木村・高山村・津野村があった[1]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年) - 連合戸長役場を加瀬木村に設置。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、加瀬木村・高山村・津野村が合併して村制施行し、智頭郡中佐治村が発足。旧村名を継承した3大字を編成し、役場を加瀬木村に設置[2][3]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡中佐治村となる。
- 1910年(明治43年)1月1日 - 口佐治村、上佐治村と合併し、佐治村が発足、役場を大字加瀬木村に定める。同日中佐治村廃止[2][4]。
行政
[編集]戸長
[編集]- 加瀬木村外18ヶ村連合戸長役場:西尾幸八[5]
- 管轄区域:加瀬木村・高山村・津野村(後の中佐治村)、小原村・葛谷村・刈地村・津無村・古市村・大井村・森坪村(後の口佐治村)、福園村・加茂村・畑村・舂谷村・河本村・余戸村・尾際村・中村・栃原村(後の上佐治村)[6]
村長
[編集]- 仲谷豊蔵:1909年(明治42年)[7]
脚注
[編集]- ^ a b 鳥取県の地名由来語源参考 : 平成の地名(森納、2009年)
- ^ a b 佐治町の沿革(鳥取市役所佐治総合支所)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「村廃置並役場位置」『官報』1909年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 職員録 明治42年(乙)