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下田美馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下田 美馬
Mima Shimoda
プロフィール
リングネーム 下田 美馬
本名 下田 美馬
ニックネーム 美しき女豹
身長 166cm
体重 62kg
誕生日 (1970-12-23) 1970年12月23日(53歳)
出身地 東京都目黒区
所属 新日本プロレス
トレーナー 北斗晶
デビュー 1987年8月5日
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下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラー

所属

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プロフィール

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1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。端正なルックスからアイドルレスラー的な売り方をされる。ただし、これは本人が望んだことではなく、フロントの考えによるものである。その後、同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグのタイトルを獲得。

1990年3月18日、格闘技経験が皆無である状況で、後楽園における格闘技戦(グローブマッチ)[1]アジャ・コングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損した[2]

1991年吉田万里子と共にメキシコに遠征、現地では『MIMACHAN(ミマチャン)』のリングネームで試合を行っている。

1992年、芽が出ず首になるところを北斗に拾われる。三田と共に北斗晶に師事し、猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)なるチームを結成、下田にとって「お嬢さんからヒール」への大転身であった。北斗の引退(後に復帰)と共に、ラス・カチョーラス・オリエンタレスも消滅かと思われたが、下田と三田のタッグチームで継続することとなった。このタッグは全女を引っかきまわすだけには留まらず、LLPWJWPといった他団体の選手(特にヒール)とも積極的に試合をこなし、インタビューや会場の客や相手に対し挑発、辛辣に煽り立てるなど、マイクパフォーマンスの技術も飛躍的に上昇していった。マイクパフォーマンスは日頃から飲み歩いている新宿二丁目で習得した、と後に語っている。

1997年には女子プロにおけるタッグチーム最高峰と言われた、WWWA世界タッグ王座も奪取。女子選手を有するほぼ全ての団体に出場するほか、男子のみちのくプロレスやアメリカのECWにも出場経験がある。

2000年には三田と共に東京スポーツ主催の「女子プロレス大賞」受賞。全女の倒産後、フリー選手、ネオ・レディース(現:NEO女子プロレス)所属と転々とした下田は、最終的にAtoZ所属となった。

2003年に引退後、AtoZのエージェントマネージャーに就任。フロントとして存在感を示していたが、2004年7月に一試合限定のプレミアムレスラーとして復帰。その後も度々リングに上がることとなった。

2005年2月、リングへの本格復帰をした直後、AtoZが発展的消滅。その後は水商売とレスラーの「二足のわらじ」で活躍した後、メキシコに渡りCMLLを主戦場とする。

2005年11月、週刊現代誌上でヘアヌードを発表。

2007年7月12日、後楽園ホールで開かれたウルティモ・ドラゴン20周年記念興行に参戦。堀田祐美子とシングルで対戦し、特別レフェリーの松山勘十郎によるセクハラに苦しみながらフォール。しかし、闘龍門理事長の三遊亭楽太郎(現:六代目三遊亭円楽)から物言いが付き、松山を含めた3WAYが組まれ、回転エビ固めで松山からフォールを奪った。

2010年10月3日WAVE後楽園大会でスイートハーツ復活。グラマーエンジェルス麗香&葉千子組と対戦して、豊田がジャパニーズオーシャン・クインビーで葉千子からフォールを奪う。

2012年8月5日ディアナラゾーナ川崎大会で「下田美馬リアルデビュー25周年記念大会」を開催。1年後輩の井上京子と組み、ZAP・I&ZAP・T組と対戦。ZAP・Tからフォールを奪う。試合後、ディアナ入団を打診され、「前向きに考える」としている。

2013年7月15日我闘雲舞初参戦。板橋グリーンホール大会でキアイリュウケンエッちゃんプロレスリング紫焔)と組んで豊田真奈美&山田太郎666)と対戦するも、キアイリュウケンが山田にジャックナイフ式エビ固めでフォールを取られて敗れている。10月6日、ディアナ道場マッチで堀田暴走軍に寝返る。10月30日、WAVE後楽園大会にてGAMI引退記念5人掛けに登場。

2014年2月9日WNCラゾーナ川崎大会で朱里とシングルで対戦するも、ジャーマンスープレックスホールドで敗れる。4月29日、ディアナ川崎市体育館大会で井上貴子と共に堀田暴走軍を裏切りKAORUと結託する。

その他、元プロレスリング・ノア泉田純至の憧れの人として知られ、何度かアタックを受けているが、泉田の強引なアタックに激怒している。

CMLLでの活躍

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2006年5月8日にCMLL初参戦。 6月に一度帰国した後、8月30日より本格的に拠点をメキシコに移す。CMLLではレスラーのみならずマネージャーとしても活動。

2010年11月19日、メヒコ州トルーカのデポルティボ・アグスティン・ミランにて、ロサ・アステカとの「カベジェラ・コントラ・カベジェラ」で勝利。

2011年5月8日、CMLLと提携を結んだREINAの旗揚げ戦で、CMLL世界女子王座挑戦権を懸けて栗原あゆみと対戦するが敗れる。

2012年1月に開かれた新日本プロレスとの合同興行「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA 2012」にて、YOSHI-HASHIOKUMURAのセコンドに就いた。3月24日、同じCMLLのセウシスとのタッグでREINA世界タッグ王座を奪取。CMLLではルーダとして君臨し、風香を初め、栗原や朱里ら日本からメキシコに渡りCMLLに参戦する選手とも対峙する。

2017年1月に開かれた新日本プロレスとの合同興行「NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA 2017」にて、OKUMURA&邪道のセコンドに就いた。

2020年6月頃から現役と並行して新日本プロレスでバックステージスタッフとして働いており[3]KENTAのインタビュー時にはインタビュースペースに呼び込まれる事が多い[4][5]

2021年3月3日に行われた「スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~」日本武道館大会ではオールスター・ランブルに出場[6]

得意技

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雪崩式タイガー・スープレックス

入場テーマ曲

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  • Skip Street(神保彰
  • 魅魔 THE SENSATION(「完全版全日本女子プロレステーマ曲集」に収録)

タイトル歴

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プロレス大賞

作品

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写真集

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ビデオ

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  • mima(1997年1月、ヴァリス)

テレビ

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脚注

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  1. ^ 1990年から1994年頃に時折行われた。内容はキックボクシングに近い。
  2. ^ ローリング裏拳。なお、5か月後の8月19日、後楽園ホールにおいて開催された「サバイバルシャウトin後楽園」において行われた格闘技戦において堀田祐美子と対戦し、6R目に同選手により上記前歯欠損を補填した差し歯を損傷され、TKO負けとなった。
  3. ^ 下田美馬さんは、なぜ新日本プロレスのバックステージで働いているのか? 直撃インタビュー(前編)!! 新日本プロレス公式 2020年11月11日
  4. ^ KENTA、大先輩の下田美馬さん祝う「俺が何が言いたいかって言うと、35周年おめでとうってこと!」”. スポーツ報知 (2022年8月6日). 2023年2月12日閲覧。
  5. ^ KENTA、“宣伝担当”の下田美馬さん従え絶叫「結局、何が言いたいかって言うと自伝買えってこと!」”. スポーツ報知 (2022年9月26日). 2023年2月12日閲覧。
  6. ^ 【スターダム】オールスター・ランブルに全24選手が出場!全選手入場写真あり スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~ | プロレスTODAY” (2021年3月4日). 2021年3月10日閲覧。
  7. ^ “下田美馬がコーチを務める『豆腐プロレス』が囲み取材に登場!「プロレス界のミルコ・クロコップになりたい」”. バトル・ニュース (コラボ総研). (2017年1月13日). https://battle-news.com/?p=26642 2017年1月14日閲覧。 

外部リンク

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