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下村彌一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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しもむら やいち

下村 彌一
生誕 (1897-08-16) 1897年8月16日
長崎県諫早市[1]
死没 (1990-04-06) 1990年4月6日(92歳没)
東京都中央区
死因 心不全
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都帝国大学法学部[2]
職業 実業家
活動期間 1925年 - 1990年
宗教 浄土真宗[2][3]
親戚 坂本一亀(娘婿)
坂本龍一(孫)
坂本美雨(曾孫)
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下村 彌一(しもむら・やいち、1897年明治30年)8月16日[3] - 1990年平成2年)4月6日)は、日本の実業家坂本龍一の祖父。

経歴

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長崎県諫早市出身[1]。下村代助の三男[2]。生家は小さな農家である。1905年に父の代助は家族を連れ佐世保に移住し、市役所の臨時雇いの雑用夫として働いた[1]

現在の佐世保市立白南風小学校を卒業後、家が貧しかったため佐世保海軍工廠の見習工になった[1]。しかし、進学が諦め切れず旧制長崎県立佐世保中学校の校長を訪ねて直談判し、試験を受けて中学4年に編入学する[1][4]1919年旧制第五高等学校文科甲類に入学し、池田勇人と友人となり、1922年に卒業[5]1925年京都帝国大学法学部を卒業し、小学校時代の恩師の娘・美代と結婚[4]共保生命保険(後に野村生命保険→東京生命保険)に入社[3]。同社では1947年に取締役となり、1952年に常務取締役兼契約部長に就任した[3]

その後に不二サッシに転じて副社長を務め、東亜航空社長を経て[6]、1971年に東亜航空日本国内航空の合併により創業した東亜国内航空(後に日本エアシステム)の初代会長に就任[7]。1年後の1972年、東亜国内航空の経営立て直しの為に社長に就任した[6]

1990年4月6日、心不全のために東京都中央区聖路加国際病院にてその生涯を終えた[8]。92歳没。

人物

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旧制五高時代は第58代内閣総理大臣を務めた池田勇人、昭和時代の文部大臣大牟田市長を務めた荒木萬壽夫と同級生であったという[9]。母校である旧制第五高等学校の寮歌である『武夫原頭(ぶふげんとう)に』をこよなく愛し、日本寮歌祭にも良く参加していたという[10]。晩年は旧制高校の教育や精神を今に活かすことを訴えて『日本の高等教育を考える会』の活動に参加していた[10]

宗教は真宗[2]。趣味は読書、囲碁[2]

親族

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下村家について、ファミリーヒストリーの取材に彌一の息子の由一は「ほったて小屋がむき出し。朝起きると布団の上にアオダイショウがおっこってくる。小作人だったと思うんですが、土地も捨てて佐世保にでた。」などと述べている[1]。彌一の家族は妻・美代、長女・敬子(編集者坂本一亀の妻)[1]の下に3人の息子がいる[11]。長男の由一[2]千葉大学名誉教授)は東京大学で国際関係学を学び、ローザ・ルクセンブルクの研究者となり、東西冷戦初期に東ドイツへ亡命したが、のちにドイツ人妻とともに帰国した[11]。ほかに二男・了二(伊藤忠慶応義塾大学卒)と三男・三郎(数学教師、早稲田大学卒)[11]。音楽家の坂本龍一は孫に当たる[1]

著書

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  • 『わが師わが友』私家版、1991年

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h ファミリーヒストリー 坂本龍一〜父との葛藤 福岡藩黒田家に仕えた先祖〜”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2018年4月23日). 2023年4月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』シ93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 『昭和人名辞典』Ⅱ 413頁 日本図書センター 1993年刊
  4. ^ a b 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一、新潮社、2023、p190-191
  5. ^ 五高の歴史~卒業生~ 熊本大学五高記念館
  6. ^ a b 『下村社長きまる 東亜国内航空』 讀賣新聞 1972年8月31日朝刊6面
  7. ^ JAL's History (JAS) 1952-2004 日本航空公式サイト
  8. ^ 『下村弥一氏』 朝日新聞 1990年4月7日朝刊 31面
  9. ^ 池田元首相の写真を常設展示…熊本大学 くまもと経済 2013年11月28日
  10. ^ a b 【旧制高校 寮歌物語】(32)「剛毅木訥」五高のテーマソング 産経新聞 2013年3月17日
  11. ^ a b c 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一、新潮社、2023、p193*194

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。