上村正之丞
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上村 正之丞(かみむら まさのじょう、1851年6月〈嘉永4年5月〉 - 1908年〈明治41年〉3月13日[1])は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将[2]。鹿児島出身[2]。
人物
[編集]明治26年(1893年)1月26日、愛宕艦長に補される。翌年の明治27年(1894年)12月9日には海軍大佐任官と同時に大和艦長となり、その後 水雷術練習所長、橋立艦長、横須賀水雷団長、呉水雷団長などを歴任。明治34年(1901年)、海軍少将任官、馬公要港部の初代司令官に就任する。その後、佐世保海軍工廠長などを務め、明治38年(1905年)、海軍中将任官、明治40年(1907年)、予備役偏入となった。墓所は青山霊園(1イ10-11)。
官歴
[編集]- 1893年(明治26年)1月26日 - 補 愛宕艦長[3]
- 1894年(明治27年)
- 1895年(明治28年)7月29日 - 補 水雷術練習所長[2]
- 1896年(明治29年)11月26日 - 補 扶桑艦長[3][2]
- 1897年(明治30年)6月1日 - 補 橋立艦長[3][2]
- 1898年(明治31年)9月1日 - 補 横須賀水雷団長[2]
- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)
- 1903年(明治36年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)5月10日 - 休職[2][6]
- 1907年(明治40年)2月24日 - 予備役編入[2]
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1883年(明治16年)12月25日 - 正七位[7]
- 1889年(明治22年)11月15日 - 従六位[8]
- 1894年(明治27年)12月10日 - 正六位[9]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 従五位[10]
- 1901年(明治34年)10月31日 - 正五位[11]
- 1905年(明治38年)11月30日 - 従四位[12]
- 1907年(明治40年)3月11日 - 正四位[13]
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『帝国海軍将官総覧』143頁
- ^ a b c d e f 『日本海軍史』「将官履歴」
- ^ 『官報』第2326号「叙任及辞令」1891年4月6日。
- ^ 『官報』第5401号「叙任及辞令」1901年7月5日。
- ^ 『官報』第6858号「叙任及辞令」1906年5月12日。
- ^ 『官報』第177号「叙任」1884年2月4日。
- ^ 『官報』第1921号「叙任及辞令」1889年11月21日。
- ^ 『官報』第3437号「叙任及辞令」1894年12月11日。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5501号「叙任及辞令」1901年11月1日。
- ^ 『官報』第6729号「叙任及辞令」1905年12月4日。
- ^ 『官報』第7107号「叙任及辞令」1907年3月12日。
- ^ 『官報』第3273号「叙任及辞令」1894年5月30日。
- ^ 『官報』第6123号「叙任及辞令」1903年11月28日。
- ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
参考文献
[編集]- 『官報』
- 『日本海軍史』海軍歴史保存会
- 『帝国海軍将官総覧』太平洋戦争研究会