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上杉長貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
上杉 長貞
時代 江戸時代前期
生誕 元和9年(1623年
死没 寛文2年12月4日1663年1月13日
別名 通称:宮内
官位 従四位下侍従宮内大輔
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家光家綱
氏族 上条上杉家
父母 父:上杉長員、母:大友義乗
兄弟 長政長貞
正室:近藤用義
長之武田信成[注釈 1]室、織田信門
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上杉 長貞(うえすぎ ながさだ)は、江戸時代前期の高家旗本従四位下少将[1]宮内大輔[1]

略歴

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元和9年(1623年)、上杉長員の次男として誕生した。寛永5年(1628年)、兄・長政の死去により家督を相続した。

正保元年(1644年)高家に就任した[1]。これ以降、上杉家は高家旗本に列することになった。

慶安3年(1650年)9月3日、御側高家に転任した。承応2年(1653年)12月28日、侍従に任官した。寛文2年(1662年)10月23日、明正上皇仙洞御所落成の祝賀使として上洛する。

寛文2年(1662年)、12月4日、切腹した[1]。享年40。

『諸御役代々記』には、長貞が上皇の院宣を紛失したため切腹したと記されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 伊予武田氏。武田道安の次子。幕府医師、明正天皇医師。

出典

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  1. ^ a b c d 東京大学史料編纂所 1963, p. 42.

参考文献

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