上杉義陳
表示
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 万治3年(1660年) |
死没 | 宝永2年2月6日(1705年3月1日) |
別名 | 通称:采女 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川綱吉 |
氏族 | 上条上杉家 |
父母 | 父:上杉長之、母:畠山義里娘 |
兄弟 | 長宗、義陳、女子 |
妻 | 正室:曽我助興娘 |
子 | 養子:知義(畠山義寧三男) |
上杉 義陳 (うえすぎ よしつら)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。下総国内などに領地を有した。
略歴
[編集]万治3年(1660年)、上杉長之の次男として誕生した。貞享2年(1685年)7月29日、双子の兄・長宗の死去により、家督を相続、寄合に所属する。
貞享2年(1685年)11月3日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁する。宝永2年(1705年)2月6日、死去。享年46。
跡を養子の知義が継いだ。知義の実家の高家畠山家は、遡ればこの高家上杉家と実兄弟であり、知義の実父義寧の姉妹が長之の室であった。