上山市郎兵衛
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上山 市郎兵衛(うえやま いちろうべえ、前名・市三郎[1][2]、1890年(明治23年)11月13日 - 没年不明)は、日本の実業家。元内外除虫菊会長[3]。上山殖産代表取締役[2][4]。和歌山県多額納税者[1][2][5]。大日本除虫菊の創業者上山英一郎は養叔母ゆきの夫。
経歴
[編集]和歌山県有田郡保田村(現・有田市)出身。先代・市郎兵衛の長男[1][2]。先代・市郎兵衛は南海水力電気を起こした[6]。1922年、家督を相続し、前名・市三郎を改め襲名する[1][2]。
祖業を継ぎ農業を営み[1][7]、傍ら上山殖産会社を創立する[1][2][4]。上山殖産社長、南海水力電気社長、関西配電理事、南海工業会長、内外除虫菊会長を務めた[3]。
人物
[編集]人となりは、朗らかな明るい紳士である[6]。先代・市郎兵衛より、父子共に社会公共に尽した[6]。直接国税927円を納め、県下の多額納税者に列した[2][5]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[7]。
趣味は書画、骨董[1]。宗教は浄土宗[1]。住所は和歌山県有田郡有田町山田原[3]。
家族・親族
[編集]- 上山家
- 父・市郎兵衛[1][2][8]
- 母・のぶ(1866年 - ?、和歌山、宮本八郎右衛門の三女)[1][2]
- 姉
- 弟・薫(1893年 - ?、内外除虫菊社長)[1]
- 養叔母・ゆき(1862年 - ?、和歌山、上山英一郎の妻)[1][2]
- 妻・ユキ(1895年 - ?、和歌山、石橋八九郎の妹)[1]
- 子(男、女)[1]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第13版 上』う33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第10版 上』ウ44頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』う167頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』ウ35-36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月6日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月6日閲覧。
- ^ a b c 『昭和に輝く』108-109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月6日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』500頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月6日閲覧。
- ^ 『大日本紳士鑑』和歌山県有田郡862頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- 上山家(内外除虫菊社長・上山静治・上山治の家系図) 2024年4月閲覧