上三栖
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上三栖 | |
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北緯33度45分20秒 東経135度26分30秒 / 北緯33.75556度 東経135.44167度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 和歌山県 |
市町村 | 田辺市 |
人口 | |
• 合計 | 259人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
646-0214 |
上三栖(かみみす)は、和歌山県田辺市の町丁。2020年3月末現在の人口は259人[1]。郵便番号は646-0214。
地理
[編集]田辺市中心部から東北東、左会津川の中流域にあたる。北で長野、東で上野、南で中三栖、西で上秋津に接する。和歌山県道216号温川田辺線が基幹道路となっている。和歌山県道209号長野上秋津線も当地区の一部を通っている。また、和歌山県道218号平瀬上三栖線の終点である。
梅・みかん・すももなどの果樹栽培が盛んな農村地域である。平地の少なさや田辺市内からの距離の遠さなどが影響し、中三栖や下三栖のような宅地化はあまり行われておらず、過疎化・高齢化が進んでいる。
山岳
[編集]- 衣笠山
- 浄土山
河川
[編集]- 左会津川
- 小川谷川
歴史
[編集]地名の由来
[編集]古の時代に熊野権現の御簾領(神領)であったことに由来する。
沿革
[編集]- 江戸時代~幕末 - 牟婁郡上三栖村が存在。紀伊続風土記によれば石高307石・戸数74戸・人口352人。「旧高旧領取調帳」の記載によると紀州藩附家老安藤氏領。
- 慶応4年1月24日(1868年2月17日) - 安藤氏領が立藩して田辺藩領となる。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により田辺県の管轄となる。
- 明治4年11月22日(1872年1月2日) - 和歌山県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)1月20日 - 所属郡が西牟婁郡に変更。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上三栖村・中三栖村・下三栖村の3村が合併し三栖村を発足。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 三栖村が上芳養村・中芳養村・秋津川村・上秋津村・長野村と合併して牟婁町が発足。同町の大字となる。
- 1964年(昭和39年)10月15日 - 牟婁町が田辺市に編入。同市の大字となる。
交通
[編集]バス
[編集]- 長野線
- 紀伊田辺駅~万呂~三栖~長野~(西原)~伏菟野
道路
[編集]施設
[編集]脚注
[編集]- ^ 田辺市住民基本台帳人口速報, 2022-1-09閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 30 和歌山県
- 旧高旧領取調帳データベース
- 紀伊続風土記