三遊亭圓龍
三遊亭 圓龍(さんゆうてい えんりゅう)は落語の名跡。過去に3人ほど確認されている。現在は空き名跡。
銚遊亭 圓龍 - 『東都噺者師弟系図』『落語家奇奴部類』では初代三遊亭圓生門人としてみえる。- 三遊亭圓龍 - 最初上方で土橋亭龍喬。1885年正月から東京に出向き三遊亭圓朝の門で圓龍を貰い、地方廻りに専らにした。(本名:藤井久五郎、長野出身)
- 三遊亭圓龍 - 後∶三遊亭圓駒
定紋の三ツ組橘。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1939年2月20日 |
没年月日 | 2021年8月20日(82歳没) |
出身地 | 日本・東京都 |
死没地 | 日本・東京都 |
師匠 | 六代目三遊亭圓生 |
名跡 | 1. 三遊亭旭生 (1965年 - 1981年) 2. 三遊亭圓龍 (1981年 - 2021年) |
出囃子 | 末広狩 |
活動期間 | 1965年 - 2018年 |
所属 | 落語協会 (1965年 - 1978年) 落語三遊協会 (1978年 - 1980年) 落語協会 (1980年 - 2021年) |
受賞歴 | |
フジテレビ「ものまねショウ」グランドチャンピョン(1983年) | |
三遊亭 圓龍(さんゆうてい えんりゅう、1939年2月20日 - 2021年8月20日)は、東京都杉並区高円寺出身の落語家。落語協会所属。本名∶水野 孝雄。出囃子は『末広狩』。以前はプロダクション・タンクに所属していた。
来歴
[編集]1939年2月20日東京都杉並区高円寺生まれ。1945年3月山梨県高根町(現:北杜市)に引っ越す。
8年間勤めた松井証券を退社後1965年2月に六代目三遊亭圓生に入門し「旭生」を名乗る。
1969年4月、柳家小団治、柳家小三太、七代目むかし家今松と共に二ツ目昇進。1978年6月に落語協会分裂騒動で師匠の圓生に従って落語協会を脱退し、新団体の落語三遊協会に加わるが、1979年9月に圓生が死去。1980年2月に落語三遊協会解散に伴い、落語協会に復帰する。
1981年3月に柳家さん喬、六代目五街道雲助、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵と共に真打昇進、「圓龍」に改名。
2018年4月8日、お江戸日本橋亭「怖いはなしの会」[1]で『骨違い』を演じて引退[2]。
2021年8月20日、午前9時30分、悪性腫瘍により東京都内の自宅で死去[3][4][5]。82歳没。
2022年2月20日、有志によるクラウドファウンディングと、生前の記録をYouTube上に配信する活動を開始[6]。
芸歴
[編集]人物
[編集]三遊亭圓生に入門した当時から柏木のマンションに通う。入門当時から体重100kgであった。
師匠の新団体設立と解散に伴い、内定していた真打昇進が2度白紙になるという珍しい経験をしている。
落語協会に戻ったあとも冷遇されている。真打昇進前の落語新人大会の決勝にて「阿武松」を熱演したが、当時審査員をしていた柳家小さんに「落語は笑わせる噺で評価すべき」と言われ優勝できなかった過去を持つ。真打昇進について時期が延びたことを小さんから直接、謝られたこともある。
三遊亭歌司、三遊亭圓丈、古今亭志ん駒、柳家さん遊、柳家小団治、柳家さん八、むかし家今松、古今亭志ん五、金原亭馬の助、橘家竹蔵、柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。[要出典]
国立演芸場に来ていた三代目桂米朝から「持参金」を稽古付けてもらい、(米朝に許可を得て)東京落語風に形を変えて演じている。
歌舞音曲に造詣深く、笛・太鼓・ピアノ・バイオリンと多くの楽器を演奏する。三味線を弾きながら落語をすることもあり、圓生が独演会で使うほど見事な腕前だと評される。
元大相撲力士の巨砲丈士に顔が似ていることから「落語界の巨砲」と自称していた。のちに「落語界の久島海」と改めている。
メディア
[編集]- 円龍のそば行脚 落語家が選んだ東京23区内のそば屋308 ISBN 9784817080844 日貿出版社
- 円龍の下町人情味処 山と渓谷社
- 絶対面白い小噺三百選 噺家のネタ帖 ISBN 9784778107086 心交社
- 二八人二八演 あたしが大好きな噺家と噺のお話 ISBN 9784862381996 バジリコ
- 内儀さんだけはしくじるな―目白・柏木・黒門町 ISBN 9784163704005 文藝春秋 - 古今亭 八朝/岡本 和明【編】 - 六代目 三遊亭圓生夫人(山崎はな)を語る座談会に登場。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “4月8日 怖いはなしの会(テーマ別演芸会VOL.2)”. Ameba blog. 有限会社宮岡博英事務所のブログ (2018年2月5日). 2020年8月20日閲覧。
- ^ 宮岡里英 office SATOBI [@riemiyaoka] (2018年4月5日). "4月8日お江戸日本橋亭「怖いはなしの会」は圓龍師匠の最後の高座の日でもあります。". X(旧Twitter)より2021年8月20日閲覧。
- ^ “三遊亭圓龍 訃報”. 落語協会. 一般社団法人 落語協会 (2021年8月20日). 2021年8月20日閲覧。
- ^ “落語家の三遊亭圓龍さん、悪性腫瘍で死去 82歳”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2021年8月20日). 2021年8月20日閲覧。
- ^ 「三遊亭圓龍さんが死去 悪性腫瘍のため」『デイリースポーツ』2021年8月20日。2021年8月21日閲覧。
- ^ EnRyuProject. “【落語】三遊亭圓龍の話藝を復元するプロジェクト[YouTube]”. camp-fire. 2022年9月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 三遊亭圓龍 - 落語協会
外部リンク
[編集]- 三遊亭圓龍 - 落語協会
- 圓龍クラファンちゃんねる - youtube