三昧耶戒
三昧耶戒(さんまやかい)とは、仏教の教えの一つである「後期大乗仏教」に分類される密教において、その教えを学ぶ前に結縁や許可を目的とする灌頂の儀式を通じて、これから密教を学ぶための資格と義務として、信者や僧侶・瑜伽行者らに与えられる「密教独自の戒律」を指して言う。三昧耶(samaya:サマヤ)とはサンスクリット語で「約束」や「契約」を意味し、三昧耶戒は「(仏との)約束に基づく戒め」、あるいは「密教における誓約」というような意味になる。
概略
[編集]いわゆる仏教の戒律には、歴史的な流れに沿って段階的に声聞乗の戒律、大乗の戒律、密教の戒律があり、このうち、密教だけに存在する戒律のことを『三昧耶戒』という。
三昧耶戒の種類
[編集]主要な項目は以下のようになる。
- 中期密教 日本密教・中国密教(唐密)
- 密教の菩提心戒
- 後期密教 チベット密教・中国密教
- 密教の菩提心戒
- 十四根本堕(戒)
- 八支粗罪戒
- 五智如来の三昧耶戒
- 身口意三業三昧耶戒
- 密教の資格を伴う戒
- 阿闍梨戒
- 後期密教に付随する訓戒
- 師事法五十頌[1]
- 菩薩律儀二十頌
- 菩薩行三十七頌
- 特殊な戒
三昧耶戒の受戒
[編集]伝法灌頂において授かるため、三昧耶戒の授戒は一般には行われない。
菩提心戒
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
十四根本堕(戒)
[編集]密教の代表的な戒律といえば、この『十四根本堕』(戒)である。通常は、この十四根本堕にも詳しい解説と「口伝」とがあり、後段として「三昧耶戒を守ることによる利益」、「三昧耶戒を犯すことによる過失」、「三昧耶戒を取り戻すための方便」の三つの教えが付随する。
また、この戒律はチベット密教では「作タントラ」と、「行タントラ」に属す戒律とされ、今日では、『時輪タントラ』に基づいて説明されることが多いが、他のタントラにも共通する重要な戒律である。1・4・5・7番目の四条が中心となる戒律である『四重禁戒』と、十条の戒律とで構成されるが、これら十四条の戒律を破ると[4][5]密教における『波羅夷罪』に相当する。それ故に、「十四の根本である地獄に堕ちる罪」(十四根本堕)という名前が付けられている。
- 『十四根本堕』(戒)
- 諸々の師僧や、僧侶(ラマ)[6]を軽蔑してはならない。
- 御仏の言葉に違反してはならない。
- 金剛兄弟(兄弟弟子)に対して、怒りを起こして争ってはならない。
- 一切衆生への「慈悲」を捨ててはならない。
- 「菩提心」を捨ててはならない。
- 自他の宗派を誹謗してはならない。
- 未熟な者には密教の教えを説いてはならない。[7][8]
- 五蘊からなる仏を軽視してはならない。
- 諸々の「自性法」を疑ってはならない。
- 「慈悲」を毒する考えを、心に抱いてはならない。
- 教えを、その名称によって差別してはならない。
- 御仏を信仰する人の、「信心」を尊重しなければならない。
- 既に得ている「三昧耶」を守らなければならない。
- 智慧を自性とする「女性」を誹謗してはならない。
- 『三つの教え』
- 【三昧耶戒を守ることによる利益】
- 三昧耶戒を守ることで法の加護と、仏法の速やかな成就が得られる教え。
- 【三昧耶戒を犯すことによる過失】
- 三昧耶戒を破ることで様々な障害が起こり、死後に地獄に堕ちることに関する教え。
- 【三昧耶戒を取り戻すための方便】
- 三昧耶戒を失った際に、速やかに過失を取り除き、再び戒を得る以下の三段階の手順。
八支粗罪戒
[編集]この『八支粗罪戒』は、先の『十四根本堕』よりも更に具代的に密教の「三昧耶戒」について述べたものである。また、当然のように『八支粗罪戒』にも詳しい解説と「口伝」とがあり、1・3・4番目の三条が中心の戒律となる。密教の法の伝授に際しては、師僧(根本ラマ)より必ずこの戒律の説明を受ける必要がある。なお、中国密教には龍樹阿闍梨(龍猛菩薩)による[15]この戒の口伝が別に伝えられている。
- 『八支粗罪戒』
- 密教の諸戒律と灌頂とを欠いて、明妃(みょうひ)[16]を得ることをしてはならない。
- 集会や法会において、争いごとを起こしてはならない。
- 世俗の女性[17]と、甘露[18]を自力で得ることをしてはならない。
- 器を具えた弟子[19]に、教えを秘密にして説かないことがあってはならない。
- 信心をもった問いに対して、(答え以外の)他の教えを説くことをしてはならない。
- 声聞乗に属する寺に、七日間以上滞在してはならない。
- いまだ成就していない瑜伽(密教ヨーガ)や、密教の法について自慢してはならない。
- その時期が来ていないのに、深遠な法を説いてはならない。
五智如来の三昧耶戒
[編集]この戒律は、先に説かれている『密教の菩提心戒』が発展して出来た戒律。チベット密教においては瑜伽タントラに属する戒律であり、『金剛頂経』系に属する教えの全ての灌頂において授けられる。現在では、『時輪タントラ』の中において説かれる本初仏(アディブッダ)の「双入不二」の思想が、五仏を創造し出生することを根本原理として、五智如来に配する戒律の条項を『秘密相経』(vajira-sikhara-tantra)等を参考にして解説される。なお、灌頂を授かったならば、この戒律についても必ず師僧(根本ラマ)より詳しい解説と「口伝」を受ける必要がある。
戒律の内容は『五智如来の三昧耶戒』と『三誓願』の二つからなり、その内容は以下のようになる。
- 『五智如来の三昧耶戒』
- 仏部三昧耶戒
- 願菩提心を継続しなければならない。
- 行菩提心を継続しなければならない。
- 密教の菩提心戒と、諸戒律を守らなければならない。
- 金剛部三昧耶戒
- 金剛杵(大楽)の三昧を修さなければならない。
- 五鈷鈴(空性)の三昧を修さなければならない。
- 大手印(マハムドラー:「空楽不二」)の三昧を修さなければならない。
- 上師相応法(グル・ヨガ)の三昧を修さなければならない。
- 宝生部三昧耶戒
- 財産を布施しなければならない。
- 教えを布施しなければならない。
- 無畏を布施しなければならない。
- 慈悲を布施しなければならない。
- 蓮華部三昧耶戒
- 作タントラと、行タントラを成就しなければならない。
- 瑜伽タントラを成就しなければならない。
- 無上瑜伽タントラを成就しなければならない。
- 三乗(声聞乗・大乗・金剛乗)の教えを会得しなければならない。
- 羯磨部三昧耶戒
身口意三業三昧耶戒
[編集]この戒律は『大日経』に説く、密教の「十善戒」が発展して出来た戒律である。チベット密教ではニンマ派によって伝承され、『ゾクチェン』に関係する教えや法の際に、『身口意灌頂』と呼ばれる「四灌頂」の儀式においてのみ授けられる戒律とされる。ニンマ派の「口伝」によると、この戒律と灌頂はグル・パドマサンバヴァ(蓮華生大師)によって直接チベットへと伝えられたものである。ただし、現在では『ゾクチェン』の教えと共に、カギュ派やサキャ派、中国密教にも伝えられ、今も伝承されている。
数ある三昧耶戒の中で、最も無上瑜伽タントラの特色を表している戒律であり、伝授の際には師僧(根本ラマ;ツァエラマ)から特に慎重に解説と「口伝」を受ける必要がある。また、その際における「口伝」はニンマ派でも参加人数を限定した高度な内容を伴うものであり、その教えを中断してはならないとされている。『身口意三業三昧耶戒』の内容は以下のようになる。
- 『身口意三業三昧耶戒』
- 「根本三昧耶戒」(身口意二十七根本三昧耶戒)
- 身業戒(身体による行いに関する戒)
- 口業戒(言葉による行いに関する戒)
- 外三昧耶戒
- 嘘をついてはならない。 「不妄語」・「不綺語」
- 二枚舌を使ってはならない。 「不両舌」
- 悪口をいってはならない。 「不悪口」
- 内三昧耶戒
- 説法者を誹謗してはならない。
- 思索者(哲学者)や仏教学者を誹謗してはならない。
- 実践する人(布教者)や修行者を誹謗してはならない。
- 秘密三昧耶戒
- 金剛兄弟の言葉(指導や忠告)に従わなければならない。
- 根本ラマや明妃の言葉に従い、敬語を使わなければならない。
- 根本ラマの教えをよく聞き、理解しなければならない。
- 外三昧耶戒
- 意業戒(心による働きに関する戒)
- 外三昧耶戒
- 怒りに任せて、他を害してはならない。 「不瞋恚」
- 物惜しみや、貪りの心を起こしてはならない。「不慳貪」
- 邪まな見方をしてはならない。 「不邪見」
- 内三昧耶戒
- 邪まな思いや行いを、そのままにしてはならない。
- 邪まな修行や行為への思いを、増長し、隠し、実現させようと思ってはならない。
- 邪見に執着したり、常に考えたりしてはならない。
- 秘密三昧耶戒
- 毎日三回、毎座(毎回)修行を怠ってはならない。
- 毎日、毎座ごとに本尊の修法を行なわなければならない。
- 毎日、毎座ごとにグル・ヨガを修し、金剛兄弟の世話をしなければならない。
- 外三昧耶戒
- 「支分三昧耶戒」(五欲金剛二十五種三昧耶戒)
- 五所行(ごしょぎょう)
- 殺・盗・淫・妄語・悪口
- 五不断(ごふだん)
- 貪・瞋・痴・慢・嫉
- 五忍取(ごにんしゅ)
- 大香・水香・大血・大肉・菩提
- 五所知(ごしょち)
- 五蘊・五大種・五境・五根・五色
- 五所修(ごしょしゅう)
- 仏部・金剛部・宝生部・蓮華部・羯磨部
- 「根本三昧耶戒」(身口意二十七根本三昧耶戒)
密教の資格を伴う戒
[編集]ここでいう「密教の資格を伴う戒」とは、『阿闍梨戒』のことを指している。『阿闍梨戒』は、日本密教では今は伝承されていないが、現在の中国密教では、段階的に「準阿闍梨灌頂」と「阿闍梨灌頂」[27]とがあり、後者の「阿闍梨灌頂」において授かる。
チベット密教では、別尊の大法の灌頂や、『大幻化網タントラ』をはじめとする主要な五タントラの灌頂の際に、「瓶灌頂」等の後に「阿闍梨灌頂」を挟み、その際に授かる戒律である。また、中国密教では、別名を『随従阿闍梨戒』ともいう。
- 『阿闍梨戒』
- 金剛乗(密教)の諸戒律に違反することがあってはならない。
- 身口意の三業をもって、師僧(ラマ)に供養せよ。
- 密教における「法」の伝統を軽視することがあってはならない。
- 伝法と真言の伝授には、必ず師僧の許可を得ること。
- 師僧が当地を離れた時は、力の限り道場(寺)を守ること。
- 伝法に際しては敬虔であり、名利をもとめてはならない。
後期密教に付随する戒
[編集]特殊な戒
[編集]ここで言う『特殊な戒』とは、主に密教経典や主要なタントラ経典に説かれる戒律のことを言う。日本の各宗派にはそれぞれの教えの特徴となる経典(依経:えきょう)があり、密教でいうと、例えば真言宗では『金剛頂経初会』と『大日経』を両部不二として所依の経典とし、あるいは伝統的には『五部経典』[28]を依用している。この点は、無上瑜伽タントラに属する教えを継承するチベット密教においても同様で、それぞれの教義を生み出す背景となる根本のタントラ経典があり、それをチベットでは主要な「五タントラ」と呼び、「五タントラ」とそれを依用する宗派は次のようになる。『大幻化網タントラ』はニンマ派、『喜金剛タントラ』はサキャ派、『勝楽タントラ』はカギュ派、『秘密集会タントラ』はゲルク派、『時輪タントラ』はチョナン派においてそれぞれ依用されている。
ここでは日本になじみのないタントラ経典に説かれる戒律として、チベットで最も早期に成立した宗派であるニンマ派の旧訳とされる『大幻化網タントラ』において説かれる戒律を紹介する。
- 『大幻化網タントラの三昧耶戒』
- この戒律は、根本の五条と、支分の十条からなる。なお、これらは無上瑜伽タントラに説かれる戒律なので、文字による表面的な意味ではなく、象徴としての深い意味を持つので、必ず有資格者である無上瑜伽タントラの指導者であり、このタントラの伝授に関する知識と経験を有する金剛阿闍梨(ドルジェ・ロプン)からの詳しい解説と、口伝によって理解する必要がある。
- 「支分の十条」
- 支分の戒律は、ゾクチェンの境地の見解でもある「輪廻と涅槃は無差別」の意味を積極的に表したものであり、前の五条と、後ろの五条からなる。
- 一、「五毒を捨ててはならない」。
- 前の五条は、大悲(悲無量心)を基とした深い心に関する戒律である。密教の菩薩である瑜伽行者は、覚りを得ていながらも涅槃に赴くことなく、苦しみの根本となる煩悩を捨てずに輪廻の世界へと再び生まれ、世々において一切有情を救おうという誓いを表している。ここでいう五毒とは、チベット密教において輪廻のそれぞれの世界に生ずる原因となる五大根本煩悩を指している。また、「転識得智」(てんじきとくち)の考え方を採用し、五毒を変じて如来の五智とするので、その要素となる五毒を捨ててはならないとする説もある。
- 貪(とん:貪り)を捨ててはならない。
- 瞋(じん:怒り)を捨ててはならない。
- 痴(ち:愚かさや愚痴)を捨ててはならない。
- 慢(まん:慢心)を捨ててはならない。
- 嫉(しつ:妬み[これは悪見と無明とに相当する])を捨ててはならない。
- 二、「五甘露を捨ててはならない」。
- 後ろの五条は、大慈(慈無量心)を基として身体の生理を象徴的に表した戒律である。歴史上の仏陀は「生きとし生けるものたちを、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と戒められたが、この戒律は瑜伽行者自身の身体を含めた「生まれて来た命」、あるいは「生かされた命」を育むことを目的とし、一切有情である生きとし生けるもの達をあるがままに受け入れて残らず救おうという誓いを表している。ここでいう「五甘露」は、『身口意三業三昧耶戒』の「五忍取」と同じものを指す。ただし、用語として生命の維持のために身体から排泄される様々な物の言葉を使用するが、その表面的な意味にとらわれることは無上瑜伽タントラへの誤解を生む原因となることは言うまでも無い。一切有情を肉体の面から救済する方便として、現代の医療では、ノロウイルスの検知や成人検診でも知られる「検便」や「検尿」、「採血」や様々な「触診」[29]や「マンモ検診」、成人男性の「精力回復」等、今日では常識となっているこれらの医療行為は、無上瑜伽タントラが説かれた8紀-12世紀において、カーストの高い地位にある僧侶や王族にとってはまさに禁忌の知識とされたが、阿闍梨の五明に見られるように密教僧の医者にとっては、有情の苦しみを救う立派な治療法であった。勿論その方法は先駆的であり原始的ではあるが、現在もチベット密教の『四部医典』[30][31]や、薬師如来の治療法を描いたタンカにもその図解が見られ、医学的な知識の無い者が見た際には今日でも奇異に感じられるほどであるから、当時はまさに狂人の行為、異端の仏教とみられたに違いない。
通戒と三昧耶戒の関係
[編集]あまり意識されてはいないが、三昧耶戒は密教の戒律であると同時に、歴史上の釈尊の教えに基づき段階的に発展した戒律であり、通戒(声聞乗・大乗・金剛乗に共通の戒)や菩薩戒の上に成り立つもので、両者を遵守しなければ三昧耶戒の条項に違反しなくても、三昧耶戒を得たことにはならない[32]。それ故、正式な灌頂の儀式では、儀式の中で順番に通戒と菩薩戒、三昧耶戒の全てを授けるようになっている。ただし、現在の日本密教の灌頂次第では、灌頂の導師が戒律を伝えていないこともあり、一般の葬式と同様に時間短縮のためにも通戒と菩薩戒や、三昧耶戒を授けるのを省略して灌頂の儀式を行うこともある。
脚注
[編集]- ^ 『後期密教研究』、pp143-214。
- ^ 例として、『大幻化網タントラ』に説かれる「大幻化網戒」が挙げられる。
- ^ チベット密教・ニンマ派の大成就法である「ゾクチェン」において説かれる戒。
- ^ 『波羅夷罪』とは、文字通り全ての資格を剥奪し、声聞乗と大乗と密教を含む各宗派を問わず、あらゆる仏教教団を追放されて仏教徒ではなくなる重い罪なので、『四重禁戒』を破った場合に適用するという説と、『十四根本堕』のどれか一つでも破れば適用するという説と二説あるが、ここでは後者によって記述する。参考文献『密乗圓満之道』のダライラマ14世による「密教の根本戒」の解説によると、「もし、十四の根本の戒律を一つでも破ることがあれば、密教の全ての学習における根本(拠り所)を失い、生きている間における幸運の兆候は無くなり、死後において金剛地獄に落ちることが確定する」とある。
- ^ 『密乘圓満之道』(法燈出版社)、p70。
- ^ チベット語では通常の場合、僧侶のことを「ラマ」(lama)と呼ぶが、この言葉の本来の意味としては導師が近く、漢訳と中国語では「上師」(シャンシー)と表記される。チベット仏教のニンマ派では、各種の資格を得た後に還俗した元僧侶についても習慣的に「ラマ」と呼び、これに対して転生者となる「トゥルク」の場合には、優れた導師に対する称号の「リンポチェ」を、これも習慣として無条件で付けて呼ぶことが多い。
- ^ この戒律は『四重禁戒』の一つであり最も事相に関係するので、その意味を再確認しておくこととする。この戒律の例として、正式な灌頂を授かっていない人に対して、諸仏や諸尊の真言(マントラ)を教えてはいけないし、唱えさせてもいけないし、唱えることを許してもいけない。それを教えたり許可した際にはこの戒律に違反することになり、「波羅夷罪」が適用されて、僧侶の場合には「僧籍に加え全ての資格を失うと共に、2年間一切の宗教活動を禁止し、二度と僧侶となることは出来ない」ことになってしまう。『大日経疏』巻三(大正大蔵経39巻、p609)には、「摩訶衍(マハヤーナ:大乗教。ここでは密教を含む)の中には、復た持明(真言)を以って秘蔵(秘密の教え)とする。未だ曼荼羅に入らざる(即ち、灌頂を授かっていない)者には、読誦せしめず。(中略)このゆえに、真言を修し学ぼうとする者は、先ず曼荼羅に入らしむる(灌頂を授ける)ことを要するなり」とある。更に、『スキ耶経』巻下(大正大蔵経18巻、p772)には、「もし、愚人あって、曼荼羅に入らずして(灌頂を授かっていないのに)真言を持誦すれば(唱えたならば)、遍数を満ずるといえども(お経にあるように10万回や100万回唱えたとしても)、ついに成就せず。復た、(真言を唱えたために)邪見を起こして、その人は命が尽きてから地獄に堕ちる。もし、人あって彼に真言の法を与えれば(教えたならば)、その人もまた、三昧耶戒に堕ちる(違反すること:越三昧耶)となり、命を終えた後に、嚕羅地獄(叫喚地獄)に堕ちる」とある。なお、江戸時代の戒律復興運動に功績があり、如法真言律を提唱し、生涯において三十数万人の僧俗に対して正しい戒律と灌頂を授けた浄厳覚彦の『普通真言蔵』によると、真言について書かれた書物を売買してもいけないとして、真言の大切さと三昧耶戒の厳しさを説いている。
- ^ 『普通真言蔵』(東方出版社)、p1。
- ^ 僧伽(そうぎゃ)とは「サンガ」のことで、正しく出家戒(具足戒)を保つ20人以上の出家の団体、僧団とも言う。
- ^ 声聞乗、大乗、金剛乗も仏教徒となるには戒律を授かる必要があり、そして、戒律を授かり正式に仏教徒になった場合には、月に二回の新月と満月の日か、旧暦の1日と15日に懺悔のための法要である「懺法」(さんぽう、ぜんぽう)を行なわなければならない。また、日本ではこれを別名「布薩会」(ふさつえ)とも呼んでいる。「懺法」を行なう日付を、新月と満月と定められたのは歴史上のお釈迦様以来のことであるが、インドの仏典には「毎月の15日と30日」と書かれている。しかしながら、この日付はインドの暦法の『ティティ』によるものであり、空海の請来になる『宿曜経』には「白日黒日」の暦占法として登場するものの、中国でも日本でも暦法としては採用されなかった。『ティティ』は太陰太陽暦でありながら毎月が必ず30日間あるので、インドの仏典の15日の満月の日と、30日の新月の日とあるのは正しい。しかし、中国と日本の暦法による太陰太陽暦では、毎月が「大の月」と「小の月」とに別れ、「小の月」には29日しかなく、それが不定期に訪れるので仏典の記述とは一致しない。それゆえ、歴史上では29日の月は1日とするなど、時代や地方の暦法によって対応は様々であった。江戸時代にはこうした暦法上の問題がよく知られていて、戒律の次第や経本には『三時配分』として、春分・秋分と、夏至、冬至の三つに分けて日付を変更する方法が載せられていた。また、日付を現行の新暦(グレゴリオ暦)にスライドさせる際にも30日がない月があるので、ここでは、『七倶胝佛母所説準提陀羅尼経』(不空 訳、大正蔵№1076)の注釈書である、『七倶胝佛母所説準提陀羅尼経節要』(宋代)に基づく「旧暦の1日と15日」の説を採用する。日本の戒律の資料には、このインドの暦法である『ティティ』について触れたものがないので、参照の際には注意を要する。なお、この「懺法」の本尊も、三昧耶戒の場合には特別な本尊でなければならない。チベット密教ではヤブユムの金剛薩埵や、各宗派の守護尊(イダム:例えば大幻化金剛)、ヤブユムの四臂観音(六字観音)等、中国密教では大輪明王や准提仏母、ヤブユムの金剛薩埵等、日本密教では大輪明王、准提仏母(準提観音)等が挙げられる。『理趣経』の注釈書である『理趣釈経』には、阿闍梨が三昧耶戒を保つためには「大輪明王の曼荼羅を祀らなければならない」と説かれており、江戸時代の戒律復興運動の際には、中国密教と共に出家戒や三昧耶戒が正しく伝えられ、同時に大輪明王の仏像が渡来して日本でも祀られたので、多面多臂で密教仏と分かる数点の秀作が現在も残されている。
- ^ 『密教占星術』(東京美術)、pp.104-110。
- ^ 『講説 理趣経』(四季社)、pp.246-249。
- ^ 京都府の真言宗醍醐寺には、鎌倉時代初期のものとされる絹本著色「大輪明王曼荼羅」が残されており、また、千葉県の高野山真言宗蓮華堂には、江戸時代の請来品とされる三面八臂の大輪明王の尊像(約48cm)が祀られているのを見ることができる。
- ^ この際の導師は、密教に必要な声聞乗・大乗・金剛乗の全ての戒律を守り、阿闍梨の五明を学んで資格を備えた指導者でなければならない。
- ^ 『外内密戒律手冊』(總持寺出版社)、pp.69-70。
- ^ 密教の特殊な「念持仏」である女尊(仏母や空行母)か女性のパートナーのこと。女性の瑜伽行者の場合は、男尊(明王や護法尊)もしくは男性のパートナーを指す。
- ^ 密教に必要な諸戒律を授かっていないか、または、授かっていても守っていない女性のこと。
- ^ 「阿闍梨の五明」である密教の医学に基づく、諸尊の特殊なレシピによる漢方薬で作られた丸薬や、それを溶かした薬液のこと。密教医学の薬材には「砒素」・「水銀」・「鉛」・「トリカブト」等の劇薬を含むため、微量でも使用を誤れば医療事故につながるために、正式の資格を持たない人物が保管や処方を行なうことは許されない。例えば、モルヒネのなかった古代インド密教の医学では、「水銀」(辰朱、朱砂)は癌の自覚症状を弱めるのに用いられ、中国漢方では「トリカブト」が十大処方の薬材の一つに数えられる。日本密教では「護摩法」の丸薬ぐらいしかないが、チベット密教や中国密教では阿闍梨や密教の医師が専門的な知識として学ぶ。その「薬学」には数多くの薬材が大系的に伝えられており、それらは今でも密教の医療の現場や儀式の処方として用いられている。
- ^ 法器としての弟子、上品・中品・下品の三種類の弟子があるとされる。
- ^ 「息災」ともいう。
- ^ 「調伏」ともいう。
- ^ ここでは、通戒・菩薩戒・三昧耶戒、これら全ての戒律を指す。通戒とは、在家の場合は「三帰依戒」と「在家の五戒」や、「八斎戒」のこと。僧侶の場合は「三帰依戒」と「沙弥戒」(十戒)・「出家戒」(具足戒)等を指す。菩薩戒とは、在家と僧侶に共通となる「菩提心戒」と「十善戒」や、「菩薩戒」を指す。なお、「菩薩戒」には『梵網経』(大正蔵:№1484)に基づく「梵網戒」と、『瑜伽師地論』(大正蔵:№1579)等に基づく「瑜伽戒」と、『優婆塞戒経』(大正蔵:№1488)に基づく「在家菩薩戒」の三種類の菩薩戒があるので注意を要する。日本密教は「梵網戒」を、チベット密教のインド伝来の宗派であるニンマ派・サキャ派・カギュ派の三宗派は「瑜伽戒」を、中国密教は「梵網戒」と「瑜伽戒」・「在家菩薩戒」を、それぞれ継承する。また、チベット密教のゲルク派では、開祖のツォンカパが編纂・創始した独自の「菩薩戒」を依用する。この戒律は、ツォンカパが活躍した時代のツォンカ地方にはỈを始めとする諸戒律が廃れて伝わっていなかったため、数多くの資料を参考に「菩薩戒」を作成した。ゲルク派では伝統の「菩薩戒」として扱うが、個人による編纂でもあり、内容的には菩薩戒と三昧耶戒の訓戒、在家の菩薩戒と出家の菩薩戒とが入り混じっているので、これを出家の「菩薩戒」として扱うか、単に「菩薩の訓戒」と見るかは専門的には意見が分かれるところである。
- ^ 師より授かった全ての教えと修法のこと。
- ^ 「プトガラ」は密教における如来蔵の無我を表す際の用語の一つで、梵語に「ブドッガラ」(pudgala)とする。また、部派仏教の一部や外道の用語では「ブドガラ」(pudgara)とも表記し、それらの派では逆に輪廻の主体や我と理解されて、「ブッガラ」(puggaia)ともいう。いわゆる密教では如来蔵における無我を旨とするから、中国密教では「仏種」(ぶっしゅ)とも訳し、密教の戒律である三昧耶戒では詳しい口伝と解説を要する。もとは大乗仏教の唯識において「アラヤ識」(alaya-vijnana:阿頼耶識、蔵識)と並んで重要な用語であり、「補特伽羅」(ぷとがら)と音写される。法相宗の鼻祖(びそ)である玄奘三蔵の訳語では「数取趣」(さくしゅしゅ)と意訳され、古くは唯識化地部派(けじぶは)では「窮生死蘊」(ぐしょうしうん)と意訳する。インド学においては密教の「プトガラ」をも我性(がしょう)であるとされる場合もあるが、これは後期密教の如来蔵思想がまだ十分に解明されていないことが一因となっている。「プトガラ」の出典は、『増一阿含経』に仏陀の言葉として「阿羅耶識は、生死の際を窮めて間断する時なし。彼の窮生死蘊とは補特伽羅の概意なり」とあることによる。
- ^ 『安らぎを求めて』(善本社)、pp.27-34。
- ^ 世親菩薩の『大乗百法門論』(大正蔵:№1614)には、釈迦如来の言われる「一切法無我」について解説を加えている。問いである「何を持って一切法というのか」と、「何をなして無我とするのか」には、「一切法には略して五種類の意味がある」とし、「言うところの無我には略して二種類がある」として、「一には補特伽羅の無我、二には法(ダルマ)の無我」とあり、補特伽羅を無我の別名としている。なお、前段で「一切法」について詳しく解説しているので、ここで言う「補特伽羅の無我と法の無我とは、一般に言う「人無我・法無我」のことではないと見られる。原文は、「如世尊言、一切法無我、何等一切法、云何為無我、一切法者、略有五種、 -(中略)- 、言無我者、略有二種、一補特伽羅無我、二法無我」。
- ^ 「伝法灌頂」ともいう。
- ^ 『大日経』、『金剛頂経初会』、『蘇悉地羯羅経』、『瑜祇経』、『要略念誦経』の五つをいう。
- ^ 例えば中国の伝統医学では、清代(1644-1912)まで医者が患者の腹部に触ることは禁止されていた。いわゆる小児科や婦人科で腹部に触る「腹診」は、日本の和漢方において江戸時代に独自に発達した技術であり、それが現代の治療法にも生かされている。
- ^ 『四部医典』(ギュ・シ)は、8世紀にチベット人のユトク・ニンマ・ユンテングンポによって編纂された医学書。現行のチベット医学は、主に17世紀にサンゲー・ギャンツォによって編纂された、注釈書の『四部医典瑠璃』と、その解説画集である『四部医典タンカ集』に基づくとされる。
- ^ 『ユトク伝』(岩波書店)、p3。
- ^ 『真言宗全書 第二十二巻』(同朋舎出版)、「秘密文義要」(密教戒相義)、pp56-57。
参考文献
[編集]- 劉鋭之 編著 『金剛乗殊勝心要寶蔵』、ドゥジョム・リンポチェ2世(1904-1987)監修、香港金剛乘學會(刊行年未記載)。
- 岡坂勝芳 編著 『金剛乗殊勝心要宝蔵解説』、ギェーパ・ドルジェ・リンポチェ伝戒・許可、蓮華堂出版部、2003年刊。
- 普方金剛大阿闍梨 口述 『外内密戒律金剛乗十四根本堕講解』、總持寺出版社、民国69年(1980年)刊。
- 遍徳仁波切 導師 『密宗十四根本堕戒釈論』、蔣揚坎措仁波切 藏訳法、薩迦諾爾旺遍徳林佛學會(台湾:サキャ・ノルワン・ペントル・リン仏教会)、民国86年(1997年)刊。
- 普方金剛大阿闍梨 編著 『外内密戒律手冊』、總持寺出版社、民国69年(1980年)刊。
- 普方金剛大阿闍梨 著 『皈依灌頂儀軌』、總持出版社、民国70年(1981年)刊。
- 台中竹巴葛挙佛学中心 編 『密乗圓満之道』、ドゥク・カギュ派ドゥクチェン法王、ニンマ派ワントゥ・リンポチェ他寄稿、法燈出版社(台湾:刊行年未記載)。
- 稲谷祐宣 編著 『普通真言蔵』全2冊、浄厳原著、東方出版社、1986年刊。
- 矢野道雄 著 『密教占星術』 - 宿曜道とインド占星術 - 、東京美術、昭和61年(1986年)刊。
- 続真言宗全書刊行会(代表者:中川善教) 『真言宗全書 第二十二巻』、株式会社 同朋舎出版、昭和52年(1977年)刊。
- 浅井證善 著 『初心の修行者の戒律-訳註「教誡律儀」-』(中川善教師校訂「教誡新学比丘行護律儀」)、高野山出版社、2010年刊。
- 宮坂宥勝 著 『講説 理趣経』、四季社、平成17年(2005年)刊。
- 佐々木教悟 編 『戒律思想の研究』、平楽寺書店、1981年刊。
- 中川和也 訳 『ユトク伝』 - チベット医学の教えと伝説 - 、岩波書店、2001年刊。
- 藤田光寛 著 『はじめての「密教の戒律」入門』、セルバ出版、2013年刊、ISBN 9784863671270。
- 松久保秀胤 著 『安らぎを求めて』、善本社、平成13年(2001年)刊。
- 『梵網菩薩戒経』、株式会社 四季社、2002年刊。
- 石田瑞磨 著 『梵網経』、大蔵出版株式会社、2002年刊。
- 酒井真典 著 『後期密教研究』 =酒井真典著作集 第四巻= 、法蔵館、平成元年(1988年)刊。