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ヴィルーパ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィルーパ像 16世紀 空中に浮かぶ太陽を押し止めたというヴィルーパの聖人伝を描いたもの[1]

ヴィルーパサンスクリット: Virūpa; チベット語: bi ru pa または bir wa pa[2], 直訳: 醜い顔)、またはヴィルパクサチュトプ・ワンチュクは、7世紀から8世紀に活躍したインドの大成就者英語版中国語版ヨーギー、そしてチベット仏教四大宗派の一つ、サキャ派祖師である。

ヴィルーパは、サキャ派の奉じる道果説英語版[注釈 1](ラムデ―、梵: mārga-phala)を説いたとされ、したがって同派の系譜におけるインドの祖と見なされている[3]。また、母タントラ系の経典『ヘーヴァジュラ・タントラ』(『呼金剛タントラ』とも)の髄を説いた『金剛句偈』と呼ばれる一連の偈文も彼の作とされる[4][5]

生涯

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チベットの資料によれば、ヴィルーパは東インドのトリプラで生まれ、現在のバングラデシュにあったソーマプラ僧院に僧侶として学び、タントラ、とりわけ『勝楽タントラ』を実践した。また、16世紀チベットのラマ歴史家ターラナータ英語版は、ヴィルーパは西インドのマハーラーシュトラに住んでいたと書き残している[3][6]。さらに、テルグ語の詩"Navanathacaritramu"をはじめとしたインド側の資料は、彼はマハーラーシュトラのコンカン海岸平野に住む、敬虔なバラモンの父母の元に生まれたと伝えている[7]

チベット側の記録はまた、彼について以下のように伝えている。曰く、ヴィルーパは何年にも渡って念誦を繰り返し行う修行をしていたが、ついに諦めて念珠を厠で投げ放った。そのとき、ヴィールパはナイラートミャー英語版(無我仏母、ダーキニーの一柱、女尊)からヴィジョンを受けた。ナイラートミャーは彼の本尊となり、ヴィルーパに教えと灌頂を授けた[8]。ヴィルーパはその後僧院を去ると、インドを遊行しながらタントラを教え、さまざまな呪術シッディ英語版)を行い、また「外道たち(ティルティカス)を改宗させ、彼らの像を破壊し、彼らの悲痛な儀式を止めさせた」[9]

ヴィールパについては、自然現象を操ったとされる数々の伝承が伝えられている[10]。聖地ヴァーラーナシーへ説法をしに赴いた際、ヴィールパは地元の住人の注目を集めようと一計を案じた。酒宴を行っている酒場に入り、主人に「日没には代金を払う」と約束すると、ヴィールパは酒を飲み始めた。飲んでいる間じゅう、彼は神通力で太陽の動きを止め、町は熱波に襲われた。三日経ってから、地元の王がヴィールパの酒代をすべて肩代わりすることとなった。

像容

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絵画・彫刻において、ヴィルーパは様々な姿勢(説法印など)、肌の色で表現される[2]。また、チベット仏教においてヴィルーパは、サキャ派にとどまらず他の宗派でも崇敬されるため、彼を扱った芸術はチベット全域で見られる。

インドにおけるヴィルーパ観

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イギリスのインド研究家ジェームズ・マリンソン英語版によれば、ハタ・ヨーガを説く文献としては最古の部類である『アムリタシッディ英語版』は、ヴィルーパの著作であるとされている[3]。ヴィルーパはまた、非仏教徒の文献、とりわけナータ派のものに大成就者として現れている[3]

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 悟りを求める道程に、すでに悟りの効果が現れているとする考え方。

出典

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  1. ^ Davidson, Ronald M. Indian Esoteric Buddhism: Social History of the Tantric Movement, p. 259
  2. ^ a b HAR 2002.
  3. ^ a b c d Mallinson, James. Kalavañcana in the Konkan: How a Vajrayana Hathayoga Tradition Cheated Buddhism’s Death in India. 2019
  4. ^ Ringu Tulku (2007). The Ri-Me Philosophy of Jamgon Kongtrul the Great: A Study of the Buddhist Lineages of Tibet, Shambhala Publications, p. 127.
  5. ^ Davidson, Ronald M. Tibetan Renaissance: Tantric Buddhism in the Rebirth of Tibetan Culture, Motilal Banarsidass, 2008, pp. 49-50.
  6. ^ Powers, John. Introduction to Tibetan Buddhism, Revised Edition (2007) Snow Lion Publications, p. 433.
  7. ^ Mallinson, James (2019). “Kālavañcana in the Konkan: How a Vajrayāna Haṭhayoga Tradition Cheated Buddhism’s Death in India”. The Society for Tantric Studies Proceedings 10: 1-33. https://www.mdpi.com/2077-1444/10/4/273/htm. 
  8. ^ Powers, John. Introduction to Tibetan Buddhism, Revised Edition (2007) Snow Lion Publications, p. 434.
  9. ^ Davidson, Ronald M. Tibetan Renaissance: Tantric Buddhism in the Rebirth of Tibetan Culture, Motilal Banarsidass, 2008, pp. 49, 53.
  10. ^ CAM 2022.

参考文献

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