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ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ
Wilhelm Dubravčić
別名 グリエルモ・ドゥブラヴチッチ
(Gulielmo Dubravčić)[1]
生誕 1868年12月23日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
コルプス・セパラトゥム英語版 フィウメ[1]
死没 (1925-07-18) 1925年7月18日(56歳没)
大日本帝国の旗 大日本帝国 東京府東京市本郷区 東京帝国大学医学部附属医院[2][3]
学歴 ウィーン楽友協会音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
指揮者
作曲家
音楽教師

ヴィルヘルム・ドゥブラヴチッチ(Wilhelm Dubravčić, 1868年12月23日 - 1925年7月18日)は、オーストリア=ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト指揮者作曲家、音楽教師。1901年以降は日本で活動した。

経歴

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フィウメ(現在のクロアチアリエカ)に生まれる。1887年ウィーン楽友協会音楽院を卒業し、1890年から1892年までワルシャワ帝室劇場でヴァイオリニストを務めた。在オーストリア=ハンガリー帝国全権公使牧野伸顕の推薦により[2]エドワード・ハワード・ハウス英語版[4]の後任として、1901年5月に来日してから1925年に亡くなるまで宮内省式部職雇音楽教師となり、式部職雅楽部(1907年に楽部と改称)の管弦楽団の指導と指揮を担当した。ヴァイオリンの教え子に山井基清[5][6]波多野鑅次郎[7]多忠亮[8]高辻威長[9]がいる。来日後もヴァイオリニストとして室内楽などの演奏会に出演し、ピアニストのヴィンセント[10]前田久八[11]ラファエル・フォン・ケーベル[12]、マッキー[13]カテリーナ・トドロヴィチ[14][15]、パウロスキー[16]、歌手のロンゲーカー[13]アドルフォ・サルコリ(テノール)[14]、ヴァイオリニストの多忠基[11][13]とジョルジュ・ヴィニェッティ[17]、チェリストのサリンガー[13]らと共演している[1][18]腸癌のために入院先の東京帝国大学医学部附属医院にて死去[2]。ドゥブラヴチッチの死後、後任として1927年ガエタノ・コメリが式部職楽部指揮者となった[19]

作品

[編集]

脚注

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  1. ^ a b c 柴 2016, pp. 10–15.
  2. ^ a b c 来日西洋人名事典 1995.
  3. ^ 大正過去帳 1973.
  4. ^ 増井 1984, pp. 74–75, 78; 中村 1993, p. 310 - ハウス(1836年 - 1901年)は1899年3月から明治音楽会の指揮者を務めていたが、1899年4月に離日したフランツ・エッケルトの後任として、1900年3月から同年12月まで式部職雇音楽教師を兼任した.
  5. ^ 音楽年鑑 1941, p. 243, 山井 基清.
  6. ^ Kajino, Ena (2013-12). “A Lost Opportunity for Tradition: The Violin in Early Twentieth-Century Japanese Traditional Music”. Nineteenth-Century Music Review (Cambridge University Press) 10 (2): 293-321. doi:10.1017/S147940981300027X. 
  7. ^ レコード音楽技芸家銘鑑 1940, p. 307, 波多野 鑅次郎.
  8. ^ 音楽年鑑 1941, p. 84, 多 忠亮, ドウヴラヴイッチ.
  9. ^ 音楽年鑑 1941, p. 187, 高辻 威長.
  10. ^ 三浦 1931, pp. 445–447, 公益音楽会、於上野音楽学校奏楽堂 1903-11-28,29.
  11. ^ a b 三浦 1931, p. 452, 明治音楽会恤兵音楽会、於一橋高等商業講堂 1904-04-10.
  12. ^ 三浦 1931, pp. 464–465, 義勇艦隊賛助音楽会、於華族会館 1905-02-16,17.
  13. ^ a b c d 三浦 1931, p. 473, 明治音楽会第四十四回演奏会、於東京音楽学校奏楽堂 1906-10-28.
  14. ^ a b 三浦 1931, pp. 739–740, サルコリー主催にかかる声楽音楽会、於帝国ホテル 1912-03-28.
  15. ^ 三浦 1931, pp. 761–762, 好楽会第二回演奏会、於東京 1912-05-18.
  16. ^ 三浦 1931, p. 785, 外人音楽家演奏会、於大阪北浜帝国座 1913-09-28.
  17. ^ Georges Vignetti. 伊東義五郎の義弟.
  18. ^ 欧州音楽教師雇入録 1925.
  19. ^ G. コメッリ”. コトバンク. 20世紀西洋人名事典. 2020年1月29日閲覧。
  20. ^ 三浦 1931, pp. 327, 460, 明治音楽会三十七回演奏会、於神田区美土代町青年会館 1904-11-12.
  21. ^ 三浦 1931, pp. 463, 明治音楽会祝賀音楽会、於神田青年館 1905-02-11.

参考文献

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  • 「ウェルヘム・ヅブラウチッチ ノ部」『欧州音楽教師雇入録2明治33 - 大正14年 (宮内公文書館識別番号 11564)』宮内省式部職、1925年。 
  • 三浦俊三郎『本邦洋楽変遷史日東書院、1931年https://books.google.co.jp/books?id=6iNf7e3w3xYC 
  • 島田芳文 編纂 編『レコード音楽技芸家銘鑑』 昭和15年版、レコード世界社、1940年。NDLJP:1056525https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1056525/168 
  • 大日本音楽協会 編『音楽年鑑 昭和16年度』共益商社書店、1941年。NDLJP:1109457 
  • 稲村徹元, 井門寛, 丸山信 共 編「大正一四年 グリエルモ・ヅブラウヰッチ」『大正過去帳 : 物故人名辞典』東京美術、1973年、322頁。 
  • 増井敬二『日本のオペラ : 明治から大正へ』民音音楽資料館、1984年。 
  • 中村理平『洋楽導入者の軌跡 : 日本近代洋楽史序説』刀水書房、1993年。ISBN 9784887081468 
  • 武内博 編著「ドヴォラヴィッチ」『来日西洋人名事典』(増補改訂普及版)日外アソシエーツ、1995年、271頁。ISBN 978-4-8169-1277-1 
  • 柴理子「『白系ロシア人』音楽家カテリーナ・トドロヴィチの日本滞在(1)―1910年代までの足跡」『中欧研究』第2号、城西大学中欧研究所、2016年11月、1-24頁、ISSN 2432-40002020年1月29日閲覧