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ヴィオランテ・ベアトリーチェ・シリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィオランテ・ベアトリーチェ・シリエ
Violante Beatrice Siries
自画像
生誕 1709年1月26日
イタリア,フィレンツェ
死没 1783年
イタリア,フィレンツェ
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ヴィオランテ・ベアトリーチェ・シリエ(Violante Beatrice Siries、結婚後はViolante Siries Cerroti、1709年1月26日 - 1783年)は、イタリアの画家である。肖像画を描いた。

略歴

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フィレンツェで生まれた。父親はフランス人の金細工や宝石の加工を仕事とする、ルイ・シリエ(Louis Siries)で、フィレンツェの貴石加工工房、「Opificio delle Pietre di Pietra 」の所長を務めていた[1]。フィレンツェにいる間は、1726年まで、肖像画家のジョヴァンナ・フラテリーニ(Giovanna Fratellini: 1666-1731)に学んだ[1] 。1726年に父親がフランス王室の貴石加工の責任者として招かれ、家族とパリに移り、パリではイアサント・リゴーフランソワ・ブーシェといった有名な画家たちに学んだ。[2]

1732年に家族とフィレンツェに戻ると、すぐにフィレンツェの美術アカデミーに入会を許され[1]、1731年に亡くなったジョヴァンナ・フラテリーニの後任として、メディチ家の公式肖像画家に任じられた[2] 。メディチ家の仕事をするために1734年にはローマで働き、1735年はウィーンで働いた。この頃フィレンツェの彫刻家の息子、ジュゼッペ・セロッティ(Giuseppe Cerroti)と結婚した。

ヴィオランテ・ベアトリーチェ・シリエが教えた画家には、アンナ・ピアットーリ・バッケリーニ(Anna Piattoli Bacherini: 1720–1788)やマリア・コズウェイ(1760-1838)らがいる[1]

作品には神聖ローマ皇帝、カール6世の家族を描いた集団肖像画や、父親を描いている自画像などがある。

作品

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脚注

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  1. ^ a b c d Jane Fortune, Invisible Women: Forgotten Artists of Florence, Firenze, The Florentine Press, 2009
  2. ^ a b Neil Jeffares, Dictionary of pastellists before 1800, siries.pdf - online edition

参考文献

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  • Sandro Bellesi, Catalogo dei pittori fiorentini del '600 e '700, Polistampa, Firenze, 2009
  • Jane Fortune, Invisible Women: Forgotten Artists of Florence The Florentine Press, Firenze, 2009