サムラ・アノアイ
サムラ・アノアイ | |
---|---|
2006年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
サムゥ ヘッドシュリンカー・サムゥ ワイルド・サモアン ワイルド・サモアン3号 ワイルド・サモアン・サムラ グレート・サムゥ タヒチアン・プリンス サミー・ザ・シルク |
本名 | サミュエル・フレッド・アノアイ |
ニックネーム | サモアの怪鳥 |
身長 | 189cm |
体重 | 118kg - 125kg |
誕生日 | 1963年5月29日(61歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンフランシスコ[1] |
トレーナー | アファ・アノアイ |
デビュー | 1980年 |
サムラ・アノアイ(Samula Anoa'i、本名:Samuel Fred Anoa'i、1963年5月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州サンフランシスコ出身[1]のサモア系アメリカ人。
ワイルド・サモアンズのアファ・アノアイの息子であり、レガシーのメンバーだったマヌことアファ・アノアイ・ジュニアの実兄。元WWF世界ヘビー級王者のヨコズナことロドニー・アノアイ、リキシのリングネームで活躍したソロファ・ファトゥ、ソロファの弟のウマガことエディ・ファトゥらは、彼の従弟にあたる、息子はランス・アノアイ[2]。
来歴
[編集]ワイルド・サモアン
[編集]アノアイ・ファミリーの総帥である父親アファ・アノアイのトレーニングのもと、1980年代初頭に10代でデビュー。1983年3月、負傷した叔父シカ・アノアイの代打としてアファのパートナーとなり、ワイルド・サモアンズの3号となってニューヨークのWWFに登場[3]。シカの復帰後もWWFでの活動を続け、ボブ・バックランド、アンドレ・ザ・ジャイアント、ダスティ・ローデス、ジミー・スヌーカなどのスーパースターと対戦した[4]。
1984年3月にはWWFとの提携ルートで新日本プロレスにワイルド・サモアン(The Wild Samoan)のリングネームで初来日。同年11月開催の『第5回MSGタッグ・リーグ戦』では、来日中止になったカート・ヘニングの代打としてハルク・ホーガンのパートナーに起用されたが、ホーガンが途中帰国したため戦績を残すことはできなかった。以降も新日本の常連外国人となり、1980年代後半は従弟のグレート・コキーナとのタッグで活躍した。
1986年6月26日、遠戚にあたるピーター・メイビアの未亡人リア・メイビア(ザ・ロックの祖母)がプロモートするハワイのポリネシアン・パシフィック・レスリングにて、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[5]。4日後の6月30日にはカナダのモントリオールでディノ・ブラボーからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取、11月にデビッド・シュルツに敗れるまで保持した[6]。
サモアン・スワット・チーム
[編集]1987年、プエルトリコのWWCにてサムゥ(Samu)と名乗り、従弟のファトゥとのタッグチーム、ザ・サモアン・スワット・チーム(The Samoan Swat Team)を結成。1988年からはテキサス州ダラスのWCCW(WCWA)に進出、8月12日にケビン&ケリー・フォン・エリックからWCWA世界タッグ王座を奪取した[7]。WCWAではバディ・ロバーツがマネージャーを務め、9月12日にはジョン・テータム&ジミー・ジャック・ファンクを破り、テキサス・タッグ王座も獲得している[8]。同年12月にはAWAのイベント "SuperClash III" にも出場した[9]。
1989年、テッド・ターナーのWCWに買収されて間もないNWAミッドアトランティック地区に参戦。ポール・E・デンジャラスリーを新しいマネージャーに迎え、同じヒール陣営のファビュラス・フリーバーズとも共闘。7月23日の『グレート・アメリカン・バッシュ'89』にて行われた5対5の時間差金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」にはフリーバーズのマイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービンと組んで出場し、ロード・ウォリアーズ、スティーブ・ウィリアムス、ミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&スタン・レーン)のチームと対戦した[10]。
WCW離脱後はコキーナを加えたトリオでメキシコのUWAにも登場し、1991年1月27日にエル・トレオで開催されたアニバーサリー・ショーにおいて ミル・マスカラス、ドス・カラス、カネックの頂上トリオと対戦している[11]。なお、新日本プロレスにおけるコキーナとワイルド・サモアンのタッグチームも「サモアン・スワット・チーム」と呼称される場合があった。
ヘッドシュリンカーズ
[編集]以降もファトゥとのコンビでの活動を続け、テネシー州メンフィスのUSWAを経て、1992年よりWWFに復帰。南洋の首狩り族をイメージしたザ・ヘッドシュリンカーズ(The Headshrinkers)にチーム名を改称して、父親のアファがマネージャーを担当[12]。アースクエイク&タイフーンのナチュラル・ディザスターズ、オーエン・ハート&ココ・B・ウェアのハイ・エナジーなどのチームと抗争を繰り広げ、1993年4月4日の『レッスルマニア9』ではリック&スコットのスタイナー・ブラザーズと対戦した[13]。
1994年4月26日放送の『マンデー・ナイト・ロウ』ではジャックとピエールのザ・ケベッカーズを破り、WWF世界タッグ王座を獲得[14][15]。親子2代に渡る同王座への戴冠を果たしたが、4カ月後の8月28日にショーン・マイケルズ&ディーゼルにタイトルを奪取された[14]。
その後はファトゥと共にベビーフェイスに転向して、IRSやバンバン・ビガロなどテッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションとの抗争を開始するが、負傷のためWWFを離脱。ファトゥはWWFに残留し、シオネを新パートナーにニュー・ヘッドシュリンカーズを編成した。
サモアン・ギャングスタ・パーティ
[編集]WWF離脱後の1995年からは実弟のロイド・アノアイ(LA・スムーズ)や従弟のマット・アノアイ(ビッグ・マッティ・スモールズ)を従え、サモア系アメリカ人のストリートギャングをギミックとしたザ・サモアン・ギャングスタ・パーティ(The Samoan Gangsta Party)を結成。自身のリングネームもサミー・ザ・シルク(Sammy the Silk)と改め、ユニットのリーダー格となってインディー団体を転戦。1996年はECWにてニュー・ジャック&ムスタファ・サイードのザ・ギャングスターズを相手に、アフリカ系対サモア系のギャングスタ抗争を展開した[16]。
以降、1990年代後半はマットとのコンビまたはシングル・プレイヤーとしてペンシルベニアのPWXやニュージャージーのISPWなど、アメリカ東部のインディー団体に出場。2000年代からはメリーランド州ヘイガーズタウンに本拠を置く "National Wrestling League" にて活動しつつ、アファの主宰する "World Xtreme Wrestling" にもレギュラーで参戦、WXWヘビー級王座を5回に渡って獲得した[17]。
2007年3月31日に行われたWWE殿堂の式典では、殿堂入りを果たした父アファと叔父シカのワイルド・サモアンズのインダクターをマット・アノアイと共に務めている[18]。
2018年8月21日、武藤敬司のプロデュースする『PRO-WRESTLING MASTERS』後楽園ホール大会への出場で、1991年の新日本プロレス参戦以来となる27年ぶりの来日が実現[19]。当日は大矢剛功&ブラック・タイガーVをパートナーに、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガー、佐野巧真組と6人タッグマッチで対戦した[20]。
得意技
[編集]- サモアン・ドロップ(Samoan Drop)
- ダイビング・ボディ・プレス
- ダイビング・ヘッドバット
- パワースラム
- トラース・キック
- バックハンド・チョップ
獲得タイトル
[編集]- Lutte Internationale
- WWF世界タッグ王座:1回(w / ファトゥ)[14]
- NWL
- NWLヘビー級王座:4回
- NWLタッグ王座:2回(w / ジョン・ランボー)
- WXW
- WXWヘビー級王座:5回[17]
脚注
[編集]- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P57(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ ランス・アノアイ プロレスリング・ノア公式サイト
- ^ “WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Samu in 1983”. Wrestlingdata.com. 2014年7月31日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1986”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ a b “International Heavyweight Title [Montreal]”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ a b “WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ a b “WCWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “AWA SuperClash III”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “The Great American Bash 1989 Results”. ProWrestling History.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “UWA 16th Anniversary Show Results”. ProWrestling History.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “The Headshinkers”. Online World of Wrestling. 2020年6月20日閲覧。
- ^ “WWF WrestleMania IX”. Cagematch.net. 2024年6月28日閲覧。
- ^ a b c “WWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “ECW Heat Wave 1996 Results”. ProWrestling History.com. 2010年11月4日閲覧。
- ^ a b “WXW Heavyweight Title”. Solie's Title Histories. 2010年11月4日閲覧。
- ^ “The Wild Samoans: Bio”. WWE.com. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “「藤波を倒すのはイージー。ワイルド・サモアン、No1!」W・サモアン来日!”. WRESTLE-1 公式サイト (2018年8月20日). 2018年11月7日閲覧。
- ^ “2018年8月21日 (火)「PRO-WRESTLING MASTERS」東京・後楽園ホール大会”. WRESTLE-1 公式サイト (2018年8月21日). 2018年11月7日閲覧。
- ^ “WWC World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。
- ^ “WWC Caribbean Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月28日閲覧。