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ロベルト・アクーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベルト・アクーニャ
名前
本名 ロベルト・ミゲル・アクーニャ・カベージョ
Roberto Miguel Acuña Cabello
愛称 トロ
ラテン文字 Roberto ACUÑA
基本情報
国籍 パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1972-05-25) 1972年5月25日(52歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチンアベジャネーダ
身長 175cm
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989-1993 パラグアイの旗 ナシオナル
1993-1994 アルゼンチンの旗 アルヘンティノス・ジュニアーズ 33 (4)
1994-1995 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 31 (3)
1995-1997 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 65 (3)
1997-2002 スペインの旗 サラゴサ 153 (20)
2002-2006 スペインの旗 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 14 (0)
2003-2004 スペインの旗 エルチェ (loan) 26 (2)
2004 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン (loan) 4 (0)
2007 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル 4 (0)
2007 パラグアイの旗 オリンピア 16 (3)
2009-2012 パラグアイの旗 クラブ・ルビオ・ニュスペイン語版 97 (15)
2013-2014 パラグアイの旗 ドセ・デ・オクトゥブレ 8 (1)
2015 パラグアイの旗 デポルティーボ・レコレータスペイン語版 11 (2)
2016-2017 パラグアイの旗 クラブ・ルビオ・ニュ 23 (0)
通算 485 (53)
代表歴
1993-2011 パラグアイの旗 パラグアイ 100 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロベルト・ミゲル・アクーニャ・カベージョ(Roberto Miguel Acuña Cabello, 1972年3月25日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州アベジャネーダ出身の元サッカー選手。元パラグアイ代表。現役時代のポジションはMF

経歴

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クラブ

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幼少時代にアルゼンチンからパラグアイに移住した。1989年にクラブ・ナシオナルでデビューすると、その後、アクーニャは4シーズンの間アルゼンチンのAAアルヘンティノス・ジュニアーズボカ・ジュニアーズCAインデペンディエンテでプレーした。1997年に欧州に渡り、スペインのレアル・サラゴサと契約した。ルイス・アラゴネス監督の下、2001年にコパ・デル・レイを制覇した。リーグ戦だけで5シーズンで20得点を記録した。2001年にはパラグアイ最優秀選手賞を受賞した。リーガ・エスパニョーラでプレーする南米最優秀選手にも選ばれた。

レアル・サラゴサでの活躍によりデポルティーボ・ラ・コルーニャが関心を示し、2002年7月10日に1100万ユーロの5年契約で移籍した[1]。レアル・サラゴサ時代の5試合のサスペンションが残っていた。しかしデポルティーボでは1シーズンに7試合出場したのが最多だった。怪我に悩まされ、2003-04シーズンはエルチェCFに、2004年にはアラブ首長国連邦アル・アインFCにレンタル移籍した。2007年、オリンピア・アスンシオンでプレーした後に現役引退を表明したが、2009年にクラブ・ルビオ・ニュスペイン語版で現役復帰を果たした。

代表

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プロデビューから5年後には、パラグアイ市民権を取得してパラグアイ代表でプレーすることを決意した。ディフェンダーのカルロス・ガマーラと同じように、3度のFIFAワールドカップに出場した。パラグアイ代表としては1998年から3大会連続でFIFAワールドカップ出場し、通算で97試合の代表戦に出場した[2]。これはカルロス・ガマーラに次ぐ歴代2位の記録である。2002年の日韓ワールドカップベスト16のドイツ戦ではロスタイムにミヒャエル・バラックに肘打ちした。

タイトル

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インデペンディエンテ
レアル・サラゴサ

脚注

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  1. ^ uefa.com (2002年7月10日). “Deportivo swoop for Acuña”. 2009年8月17日閲覧。
  2. ^ RSSSF Paraguay - Record International Players

外部リンク

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