エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ
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名前 | ||||||
本名 | エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ | |||||
ラテン文字 | Ever Hugo Almeida Almada | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
パラグアイ ウルグアイ | |||||
生年月日 | 1948年7月1日(76歳) | |||||
出身地 | サルト | |||||
身長 | 178cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1967-1971 | セロ | 128 | (0) | |||
1972 | グアラニー | 12 | (0) | |||
1973-1991 | オリンピア | 298 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1975-1985 | パラグアイ | 22 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1992 | ナシオナル | |||||
1993 | オリンピア | |||||
1996 | スポルティボ・ルケーニョ | |||||
1997-1998 | ソル・デ・アメリカ | |||||
1999 | パラグアイ | |||||
2000 | ソル・デ・アメリカ | |||||
2001-2004 | ムニシパル | |||||
2004-2007 | エル・ナシオナル | |||||
2008 | バルセロナSC | |||||
2008-2009 | オリンピア | |||||
2009-2010 | ナシオナル | |||||
2010-2013 | グアテマラ | |||||
2013-2014 | オリンピア | |||||
2015-2017 | リベルタ | |||||
2017 | オリンピア | |||||
2017 | ムニシパル | |||||
2018 | ソル・デ・アメリカ | |||||
2019 | リオネグロ・アギラス | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ(スペイン語: Ever Hugo Almeida Almada、1948年7月1日 - )は、パラグアイとウルグアイの元サッカー選手、現サッカー指導者。元パラグアイ代表選手、元パラグアイ代表監督、元グアテマラ代表監督。選手時代のポジションはGK。
クラブ歴
[編集]ウルグアイサルト県サルトに生まれた。1967年にCAセロで選手となった。
1972年にクラブ・グアラニーに移籍。翌年オリンピア・アスンシオンに移籍すると20年弱をこのクラブで過ごし引退した。オリンピアではコパ・リベルタドーレスに113試合出場[1]、1979年大会と1990年大会では同大会優勝を記録。また、インターコンチネンタルカップを1979年に、スーペルコパ・スダメリカーナを1990年に、レコパ・スダメリカーナ1991のタイトルもオリンピアで獲得した、オリンピア全盛期を支えた選手であった。特にペナルティキックのセーブには秀でており、彼のセービングもあってこその国際タイトル獲得であった。
代表歴
[編集]ウルグアイ出身であるが、パラグアイに帰化。パラグアイ代表として代表に出場した。しかし、ロベルト・フェルナンデスがいたために出場機会はあまり多くは無かった。
監督歴
[編集]選手引退後はスポーツ紙で働いていたが、後に指導者に転身した。オリンピア、クラブ・ナシオナル、クルブ・ソル・デ・アメリカ、CSDムニシパルでは複数回監督を務めた他、パラグアイ代表監督としてコパ・アメリカ1999に、グアテマラ代表監督として2011 CONCACAFゴールドカップに出場した[2][3][4]。
参考文献
[編集]- ^ Ever Almeida's matches in Copa Libertadores
- ^ Copa America 1999 rosters
- ^ El elegido
- ^ “Almeida's Guatemalan adventure”. FIFA.com (28 June 2011). 18 July 2011閲覧。
外部リンク
[編集]- エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ - transfermarkt(選手)
- エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ - transfermarkt(監督)
- エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ - TheFinalBall.com
- エベル・ウーゴ・アルメイダ・アルマダ - National-Football-Teams.com