レット・ミー・ビー・ゼア
「レット・ミー・ビー・ゼア Let Me Be There」 | ||||
---|---|---|---|---|
オリビア・ニュートン=ジョン の シングル | ||||
初出アルバム『レット・ミー・ビー・ゼア』 | ||||
B面 |
Maybe Then I'll Think of You(日本以外) イフ・ノット・フォー・ユー (If Not for You)(日本盤)[1] | |||
リリース | ||||
規格 | 7 | |||
ジャンル |
カントリー ポップ | |||
時間 | ||||
レーベル | フェスティバル・レコード | |||
作詞・作曲 | ジョン・ロスティル | |||
プロデュース |
ブルース・ウェルチ ジョン・ファーラー | |||
ゴールドディスク | ||||
ゴールド(US:RIAA)[2] | ||||
チャート最高順位 | ||||
| ||||
オリビア・ニュートン=ジョン シングル 年表 | ||||
| ||||
「レット・ミー・ビー・ゼア」(Let Me Be There)は、オリビア・ニュートン=ジョンの楽曲。同名のアルバムに収録された。
解説
[編集]このカントリーの影響を受けた楽曲は、彼女にとってアメリカ合衆国における最初にトップ10入りしたヒット・シングルで、ポップ・チャートで最高6位に達し、1974年の第16回グラミー賞において、彼女に最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞をもたらした[3]。この曲では、マイク・サムズが低音(バス)のハーモニーを歌っている[4]。
この曲は、イギリス生まれ、オーストラリア育ちのオリビア・ニュートン=ジョンが、カントリー・ポップ歌手として[5]一躍人気歌手となった出世作である[6]。
チャート
[編集]チャート(1973年 - 1974年) | 最高位 |
---|---|
Australia (ケント・ミュージック・レポート) | 11 |
Canadian RPM Top Singles | 2 |
Canadian RPM Adult Contemporary Tracks | 3 |
Canadian RPM Country Tracks | 11 |
U.S. Billboard Hot 100 | 6 |
U.S. Billboard Hot Adult Contemporary Tracks | 3 |
U.S. Billboard Hot Country Singles | 7 |
主なカバー
[編集]「レット・ミー・ビー・ゼア」は、1977年に死去するまでエルヴィス・プレスリーが数多くのコンサートで歌い、ライブ録音も残されている。おそらく最も特筆されるエルヴィスによるカバーは、1974年3月20日にテネシー州メンフィスで行なわれたコンサートのライブ録音であろう。このコンサートの大部分は、1974年7月7日にライブ・アルバム『ライヴ・イン・メンフィス (Elvis Recorded Live on Stage in Memphis)』としてリリースされた。このときの「レット・ミー・ビー・ゼア」の音源は、1977年7月19日にリリースされた、エルヴィスの生前最後のアルバム『ムーディ・ブルー』の5曲目にも収録された。
タニヤ・タッカーは、ゴールドディスクに輝いた1974年のアルバム『Would You Lay with Me (In a Field of Stone)』でこの曲を取り上げており、その音源は、後のベスト盤などにもしばしば収録されている。
脚注
[編集]- ^ シングルのリリース順は、米国におけるものを標準としている。日本では、1973年にはシングルでは発売されず、米国などでB面に収められていた「君ひとすじに (Maybe Then I'll Think Of You)」をA面、「メリー・スキフィントン (Mary Skeffington)」をB面に日本独自のシングル盤がリリースされた。「君ひとすじに」は1973年の第2回東京音楽祭参加曲であった。日本では「レット・ミー・ビー・ゼア」は翌年シングル化され、B面にはボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した「イフ・ノット・フォー・ユー」が収録された。なお、米国で前作シングルにあたる「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」も、1973年の段階ではシングル化されていない。
- ^ "American single certifications – Olivia Newton-John – Let Me Be There". Recording Industry Association of America.
{{cite web}}
: Cite webテンプレートでは|access-date=
引数が必須です。 (説明) - ^ “Winners 1973 - 16th Annual GRAMMY Awards”. grammy.com. 2015年11月21日閲覧。
- ^ Morse, Ann; Keely, John (1976年3月1日). Olivia Newton-John. Creative Education
- ^ “Olivia Newton-John biography”. Billboard. 2015年11月21日閲覧。 “Olivia Newton-John skillfully made the transition from popular country-pop singer to popular mainstream soft rock singer, becoming one of the most successful vocalists of the '70s in the process. … Although she was born in Cambridge, England, Newton-John was raised in Melbourne, Australia, ...”
- ^ 20世紀西洋人名事典『オリビア ニュートン・ジョン』 - コトバンク
外部リンク
[編集]先代 "The Happiest Girl In the Whole USA" (Donna Fargo, 1973) |
グラミー賞 最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞 1974年 |
次代 "Love Song" (アン・マレー、1975年) |