レアンドロ・ファッジン
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獲得メダル | ||
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レアンドロ・ファッジン | ||
イタリア | ||
トラックレース | ||
オリンピック | ||
金 | 1956 メルボルン | 団体追抜 |
金 | 1956 メルボルン | 1kmTT |
世界選手権自転車競技大会 | ||
金 | 1954 ケルン | アマ個人追抜 |
金 | 1963 ロクール | プロ個人追抜 |
金 | 1965 サン・セバスティアン | プロ個人追抜 |
金 | 1966 フランクフルト | プロ個人追抜 |
銀 | 1956 コペンハーゲン | アマ個人追抜 |
銀 | 1958 パリ | プロ個人追抜 |
銀 | 1962 ミラノ | プロ個人追抜 |
銀 | 1964 パリ | プロ個人追抜 |
銅 | 1955 ミラノ | アマ個人追抜 |
銅 | 1961 チューリッヒ | プロ個人追抜 |
銅 | 1967 アムステルダム | プロ個人追抜 |
銅 | 1968 ローマ | プロ個人追抜 |
レアンドロ・ファッジン(Leandro Faggin、1933年7月18日 - 1970年12月6日)は、イタリア、パドヴァ出身の自転車競技(トラックレース)選手。
来歴
[編集]タイムトライアルスペシャリスト的存在の選手で、個人追い抜きでは、アマ1回、プロ3回の世界一を経験。
プロ個人追い抜きでは、当初はロジェ・リヴィエールやルディ・アルティヒといった選手たちの後塵を拝していたが、後にフェルディナント・ブラック、エルコーレ・バルディーニといった、アワーレコード保持者を撃破して優勝している。
1956年メルボルンオリンピックでは、団体追い抜きと1kmタイムトライアル(1kmTT)の二冠を達成したが、1kmTTでは、オリンピックでは初めて1分10秒台を破る、1分09秒8の同大会記録で優勝した。加えて6日間レースにおいても通算9勝を挙げる活躍を見せ、1969年に引退した。
ところが、引退した直後に病に見舞われ、闘病生活の後、翌1970年12月6日、出身地のパドヴァで死去した。37歳没。
主な戦績
[編集]- トラックレース世界選手権 アマ個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 アマ個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 アマ個人追い抜き 3位
- メルボルンオリンピック
- 1kmTT 優勝
- 団体追い抜き 優勝(+ ヴァレンティノ・ガスパレッラ、アントニオ・ドメニカーリ、フランコ・ガンディーニ)
- トラックレース世界選手権 アマ個人追い抜き 2位
1957年、プロ転向
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 2位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 オムニアム 優勝
- ニューヨーク6日間レース 優勝(+ フェルディナンド・テッルッツィ)
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 3位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- メルボルン6日間レース 優勝(+ ジョン・ヤング)
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 2位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 2位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- メルボルン6日間レース 優勝(+ フェルディナンド・テッルッツィ)
- ミラノ6日間レース 優勝(+ リック・バンステーンベルヘン)
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- アデレード6日間レース 優勝(+ ジョー・チアヴォラ)
- モントリオール6日間レース 優勝(+ フレディ・オイゲン)
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 優勝
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- モントリオール6日間レース 優勝(+ フレディ・オイゲン)
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 3位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- トラックレース世界選手権 プロ個人追い抜き 3位
- イタリア選手権 個人追い抜き 優勝
- モントリオール6日間レース 優勝(+ ホルスト・オルデンブルク)
- メルボルン6日間レース 優勝(+ ディーター・ケンパー)
外部リンク
[編集]- レアンドロ・ファッジン - サイクリングアーカイヴス
- レアンドロ・ファッジン - Olympedia