コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

リヴィウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リヴィフ歴史地区から転送)
リヴィウ
Львів
リヴィウの市旗 リヴィウの市章
市旗 市章
標語 : "Semper fidelis"
位置
の位置図
位置
リヴィウの位置(リヴィウ州内)
リヴィウ
リヴィウ (リヴィウ州)
リヴィウの位置(ウクライナ内)
リヴィウ
リヴィウ (ウクライナ)
リヴィウの位置(ヨーロッパ内)
リヴィウ
リヴィウ (ヨーロッパ)
地図
座標 : 北緯49度51分 東経24度1分 / 北緯49.850度 東経24.017度 / 49.850; 24.017
歴史
建設 13世紀
行政
 ウクライナ
 行政区画 リヴィウ州の旗 リヴィウ州
 ラヨン Lviv City Municipality
 市 リヴィウ
地理
面積  
  市域 171.01 km2
標高 296 m
人口
人口 (2007年現在)
  市域 735,000人
  都市圏 1,040,000人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)
郵便番号 79000
市外局番 +380 32(2)
ナンバープレート BC
公式ウェブサイト : http://www.city-adm.lviv.ua/

リヴィウウクライナ語: Львів [lʲʋʲiu̯] ( 音声ファイル))は、ウクライナ西部の都市である。リヴィウ州州庁所在地

名称

[編集]

この町の名や、その日本語表記には様々なバリエーションがある。

現在の公用語であるウクライナ語に準ずる表記としてはリヴィウリヴィヴもしくは新聞等でリビウ[1]と書かれる。そのほか、歴史的経緯からドイツ語からのレンベルクLemberg)、ポーランド語からのルヴフLwów [lvuf] ( 音声ファイル))、ロシア語からのリボフ、リヴォフЛьвов)などの表記も一定の知名度がある。英語表記はLviv[ləˈviːv])。

1855年山路諧孝の『重訂万国全図』の漢字表記は隣山となっている[2]

概要

[編集]

リヴィウは、ハルィチナー地方(ポーランド語: Galicja - ガリツィア)の中心都市である。人口は約83万人。ポーランドハンガリーオーストリアなどの領土になっていた時代が長いため、ウクライナの中では最もヨーロッパ的な都市である[3]。歴史地区はユネスコ世界遺産に登録されている。

気候

[編集]

温暖な大陸性気候で、1月の平均気温は-4度、7月の平均気温は18度。年間の降水量は660mm。夏季にはしばしば水が不足する。ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候(Cfb)と亜寒帯湿潤気候(Dfb)の境界付近になる。

Lviv (1991–2020年, 極値1936年– )の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 13.8
(56.8)
17.7
(63.9)
22.4
(72.3)
28.9
(84)
32.2
(90)
33.4
(92.1)
36.3
(97.3)
35.6
(96.1)
34.5
(94.1)
25.6
(78.1)
21.6
(70.9)
16.5
(61.7)
36.3
(97.3)
平均最高気温 °C°F 0.2
(32.4)
2.0
(35.6)
7.0
(44.6)
14.5
(58.1)
19.5
(67.1)
23.0
(73.4)
24.7
(76.5)
24.5
(76.1)
19.0
(66.2)
13.2
(55.8)
6.8
(44.2)
1.5
(34.7)
13.0
(55.4)
日平均気温 °C°F −2.7
(27.1)
−1.5
(29.3)
2.5
(36.5)
9.0
(48.2)
13.8
(56.8)
17.3
(63.1)
19.0
(66.2)
18.5
(65.3)
13.5
(56.3)
8.4
(47.1)
3.3
(37.9)
−1.3
(29.7)
8.3
(46.9)
平均最低気温 °C°F −5.7
(21.7)
−4.8
(23.4)
−1.4
(29.5)
3.8
(38.8)
8.4
(47.1)
12.0
(53.6)
13.7
(56.7)
13.2
(55.8)
8.7
(47.7)
4.4
(39.9)
0.4
(32.7)
−4.1
(24.6)
4.1
(39.4)
最低気温記録 °C°F −28.5
(−19.3)
−29.5
(−21.1)
−25.0
(−13)
−12.1
(10.2)
−5.0
(23)
0.5
(32.9)
4.5
(40.1)
2.6
(36.7)
−3.0
(26.6)
−13.2
(8.2)
−17.6
(0.3)
−25.6
(−14.1)
−29.5
(−21.1)
降水量 mm (inch) 46
(1.81)
48
(1.89)
48
(1.89)
52
(2.05)
93
(3.66)
86
(3.39)
96
(3.78)
73
(2.87)
70
(2.76)
57
(2.24)
50
(1.97)
50
(1.97)
769
(30.28)
平均降雨日数 9 9 11 14 16 17 16 14 14 14 13 11 158
平均降雪日数 17 17 11 3 0.1 0 0 0 0 1 8 15 72
湿度 83.0 81.3 76.5 69.3 70.7 74.0 74.9 76.3 79.4 80.3 83.8 85.1 77.9
平均月間日照時間 64 79 112 188 227 238 254 222 179 148 56 37 1,804
出典1:Pogoda.ru.net,[4] World Meteorological Organization (humidity 1981–2010)[5]
出典2:NOAA (sun only 1961–1990)[6]

歴史

[編集]

遅くとも5世紀にはこの地に人が住んでいたようである。大モラヴィア国9世紀 - 10世紀)が滅んだ後は、ポーランド公国キエフ・ルーシの角逐の場となった。981年にキエフ・ルーシのウラジーミル大公によって征服された。1015年にはポーランドのボレスワフ1世がリヴィウを征服してポーランドの版図に組み込んだ。13世紀にはポーランド王国に服属するハールィチ・ヴォルィーニ大公国ダヌィーロ・ロマーノヴィチ公によって都市が建設され、その息子レヴにちなんで名づけられた[7]1256年年代記に既に都市として言及されている。その後、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の都となる。

ポーランド・リトアニア合同成立直後の1366年にハールィチ・ヴォルィーニ大公国は連合のうちのヤギェウォ朝ポーランド王国に正式に併合されその歴史を終える。このようにポーランド王国の支配下で、リヴィウは黒海バルト海を結ぶ交易路の中継地として大きく発展した。17世紀初めの人口は約3万人であった。

17世紀を通じて、リヴィウはウクライナ・コサックスウェーデンオスマン帝国などの相次ぐ襲撃を受けた。1704年には大北方戦争カール12世の率いたスウェーデン軍に占領され、町は破壊された。

1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィウはオーストリア帝国に帰属される。公用語はドイツ語とされ、ドイツ人チェコ人が実権を握った。19世紀初めより、オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、それに対して1848年には民衆蜂起が起こった。住民の請願は後に受け入れられ、1860年代には大きく自治が認められた。その後、リヴィウはポーランド文化の中心地としても、また、ウクライナ文化の中心地としても重要な都市となった。その時代、ウクライナのその他の地域はロシア帝国に支配されており、ウクライナ語による出版は禁じられていた期間が長かった。

第一次世界大戦で、1914年にリヴィウは一旦ロシア帝国軍に占領されたが、翌1915年には再びオーストリア=ハンガリー帝国によって奪還された。1917年ロシア革命でロシア帝国が、1918年に敗戦国となったオーストリア=ハンガリー帝国がそれぞれ消滅。1918年11月1日西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィウはその首都とされた。

しかし、それに対してポーランド人の住民が蜂起し、都市の中心部を掌握した。ポーランド・ウクライナ戦争におけるポーランド人とウクライナ人の住民の間の戦闘は翌1919年7月まで続き、多くの犠牲者が出た。戦闘はポーランド軍の全面的支援を受けたポーランド側の圧勝に終わり、再びポーランドの支配が復活した。西ウクライナ人民共和国勢力の残党は、キエフジトーミルを中心に国家を建設していたウクライナ人民共和国に政府を統合させたり、あるいはロシア革命で成立したソビエト連邦赤軍と合同してポーランドとの戦闘を継続したりした。

その後、ウクライナ人民共和国のディレクトーリヤ政府は、ロシアの赤軍に対抗するためにポーランドからの協力をとりつけた代わりに、ポーランドのリヴィウに対する支配を認めた。1920年ポーランド・ソビエト戦争では、武装した住民が市内に侵攻した赤軍を撃退した。しかしながら、ポーランドはウクライナを裏切って単独でソ連側との講和に入った。1920年10月12日リガ講和条約でソ連はリヴィウを含む一帯をポーランドに明け渡した。

第二次世界大戦において、1939年9月1日ポーランドに侵攻したドイツ軍はまもなくリヴィウを包囲し、ポーランド兵の率いた蜂起は失敗した。ナチス・ドイツに続いてソ連もポーランドに侵攻し、町はモロトフ・リッベントロップ協定に基づきソ連に引き渡された。1941年6月22日に始まった独ソ戦の緒戦で町はドイツ軍に占領された。

第二次世界大戦後、一帯はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の領土とされた。その際に、ポーランド人の住民の大部分がポーランドに移ったとされる。それ以後、リヴィウはウクライナの民族文化の中心都市の一つとして、ロシア化への抵抗の牙城となった。「ウクライナ蜂起軍」も参照。

1803年以来東方典礼教会の一つであるウクライナ東方カトリック教会の総本山がリヴィウに置かれていたが、2005年8月、キエフに本拠地を移した。

ソビエト連邦の崩壊後、独立したウクライナの西部の主要都市となった。2022年ロシア連邦とウクライナの間で緊張が高まるとポーランドに近いリヴィウに居を移す市民が増加した[8]。同年2月14日には在ウクライナ米国大使館も首都キエフから一時的に移転[9]。同年2月24日にロシアはウクライナへの侵攻を開始したが、首都キエフへの攻勢は頓挫。在ウクライナ米国代理大使クリスティナ・クビエンは同年5月2日にリビィウ市長と市庁舎前で記者会見し、大使館機能をポーランドからまずリヴィウに、次いでキエフへ戻すことを表明した[1]。日本もリヴィウへ大使館を移転したが、ロシアのウクライナへ侵攻開始後の同年3月5日には、さらにポーランドへ移設が行われた[10]

3月18日、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まってから、リヴィウは初めてロシア軍の攻撃を受けた[11][12]。リヴィウ市内にある空港の飛行機修理工場周辺に複数のミサイルが撃ち込まれ、建物が破壊された[11][12][13]

言語

[編集]

ウクライナではキーウや東部、南部では公用語に指定されていないロシア語が日常的には最も使われていたり、ウクライナ語とロシア語を併用している地域が大半であるが、リヴィウではロシア語が使われることは稀である。住民のほとんどはウクライナ語のみで日常生活を送っている。そのため、ウクライナ語文化の首都とされている。

文化

[編集]

ウクライナ文化の中心と言われ、一年を通して様々な文化イベントが行われている。美術館やギャラリーも多く、有名無名の作家の展覧会を年中見ることができる。またコーヒーでも有名で、市中のカフェのある割合も他都市に比べてかなり多い。国民的人気音楽バンド、オケアン・エリズィの結成された町でもある。

交通

[編集]

大学

[編集]

ギャラリー

[編集]

リヴィウ出身の人物

[編集]

世界遺産

[編集]
世界遺産 リヴィウの歴史地区群
ウクライナ
リヴィウの旧市街
リヴィウの旧市街
英名 L'viv - the Ensemble of the Historic Centre
仏名 Lviv - ensemble du centre historique
登録区分 文化遺産
登録基準 (2),(5)
登録年 1998年
危機遺産 2023年 -
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
リヴィウの位置(リヴィウ内)
リヴィウ
使用方法表示

登録基準

[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

危機遺産

[編集]

2022年ロシアのウクライナ侵攻を受けて、攻撃の被害を受ける直接的危機などを理由として、2023年の第45回世界遺産委員会危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに記載された[14]

姉妹都市

[編集]

リヴィウのパノラマ

[編集]
Панорама центру Львова з Ратуші (2007)
Площа перед Оперним театром (2013)
Сихівський район Львова (2016)
Транспортне кільце Кульпарківська - Виговського - В. Великого (2016)
Панорама міста Львова з вулиці Лукаша, 1 (2016)
Вигляд вночі на північну частину міста з гори Лева (2017)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 「米大使館 リビウで再開/20カ国はキーウ復帰」『読売新聞』朝刊2022年5月4日(国際面)
  2. ^ 重訂万国全図
  3. ^ 日本大百科全書・リビウ”. 10 Nov 2023閲覧。
  4. ^ Pogoda.ru.net” (ロシア語). Weather and Climate (Погода и климат) (May 2011). 14 December 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。8 November 2021閲覧。
  5. ^ World Meteorological Organization Climate Normals for 1981–2010”. World Meteorological Organization. 17 July 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。17 July 2021閲覧。
  6. ^ L'vov (Lviv) Climate Normals 1961–1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 29 October 2021時点のオリジナルよりアーカイブ13 October 2015閲覧。
  7. ^ 地球の歩き方 2014〜15 ロシア』ダイヤモンド・ビッグ社、2014年、506頁。ISBN 978-4-478-04581-7 
  8. ^ 緊張のウクライナ、市民は西部へ苦渋の避難…アパート需要増・企業の一時移転も”. 読売新聞 (2020年2月20日). 2022年3月10日閲覧。
  9. ^ 米国務省、在ウクライナ米国大使館を西部リビウに移転”. JETRO (2020年2月15日). 2022年3月10日閲覧。
  10. ^ リビウの日本大使館職員を国外退避 ポーランドで業務継続”. 毎日新聞 (2022年3月7日). 2022年3月10日閲覧。
  11. ^ a b 西部の都市リビウ 初めて攻撃受ける プーチン氏 侵攻を正当化”. FNNプライムオンライン. フジニュースネットワーク (2022年3月19日). 2022年3月19日閲覧。
  12. ^ a b “ロシア、ウクライナ・リビウの航空機整備工場攻撃 人的被害なし”. Reuters. (2022年3月18日). https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-lviv-blasts-idJPKCN2LF0HV 2022年3月19日閲覧。 
  13. ^ 苦境ウクライナ、継戦訴え”. 日本経済新聞 (2024年2月22日). 2024年2月21日閲覧。
  14. ^ Ukraine: UNESCO sites of Kyiv and L’viv are inscribed on the List of World Heritage in Danger(2023年9月15日)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]