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リトル (DD-803)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リトル
基本情報
建造所 ワシントン州シアトルトッド・パシフィック造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級
艦歴
起工 1943年9月13日
進水 1944年5月22日
就役 1944年8月19日
最期 1945年5月3日、久米島西方48km沖の東シナ海にて戦没
除籍 1945年6月2日
要目
排水量 2,050 トン
全長 376フィート6インチ (114.76 m)
最大幅 39フィート8インチ (12.09 m)
吃水 17フィート9インチ (5.41 m)
主缶 石油燃焼ボイラー×4基
主機 ギアードタービン×2基
出力 6,000馬力 (4,500 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)/15ノット
乗員 士官・兵員329名
兵装
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リトル (USS Little, DD-803) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はジョージ・リトル英語版大佐に因む。その名を持つ艦としては2隻目。

艦歴

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「リトル」は1943年9月13日にワシントン州シアトルトッド・パシフィック造船所で起工した。1944年5月22日にラッセル・F・オハラ夫人によって命名・進水し、1944年8月19日に艦長マディソン・ホール・ジュニア中佐の指揮下就役した。

西海岸沖での訓練後、「リトル」は1944年11月11日にシアトルを出航し、真珠湾への船団護衛任務に就く。11月23日に真珠湾に到着、その後は砲術訓練および演習に参加した。1945年1月22日、エニウェトク環礁へ向かう戦車揚陸艦のグループと共に出航し、硫黄島侵攻のリハーサルを行う。サイパンでの最終準備の後、2月15日に「リトル」は硫黄島に向けて出航した。

2月19日、硫黄島への艦砲射撃が開始され。「リトル」は24日まで地上部隊支援の砲撃を行い、その後サイパンへ向かった。3月4日に再び硫黄島へ戻り、砲撃および護衛、レーダーピケット任務に従事した。3月14日にサイパンに帰還し、沖縄侵攻の準備に入る。

「リトル」は3月27日に沖縄に向けて出航、上陸部隊の支援艦隊に配属される。4月1日と2日に支援砲撃を行った後、輸送艦の護衛および戦車揚陸艦の援護に従事した。4月19日、レーダーピケット任務を割り当てられ24日まで同任務を行うが、激しい特攻攻撃にもかかわらず無傷で切り抜ける。

5月3日、「リトル」および敷設駆逐艦「アーロン・ワード英語版 (USS Aaron Ward, DM-34) 」は再びレーダーピケット任務に就く。18時13分、18機から24機の敵機が雲の下から攻撃してきた。18時41分に「アーロン・ワード」に特攻機が突入するのが見え、次いで「リトル」も18時43分に九九式艦爆の突入を受けた[1]。続いて別の九九式艦爆が左舷側から、零戦が右舷側から「リトル」に突入し、さらにもう1機の突入も受けた[1]。「リトル」は竜骨が折れ、右に10度傾斜[1]。18時55分に「リトル」は折れ曲がり、久米島の西約28浬で沈没した[1]。乗員339名中、死亡または行方不明が30名、負傷が79名であった[1]

1945年6月2日除籍[1]

「リトル」は第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。

脚注

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  1. ^ a b c d e f Little II (DD-803), Dictionary of American Naval Fighting Ships

関連項目

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外部リンク

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