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ベル (DD-587)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
DD-587 ベル
USS ベル(DD-587)(1943年6月撮影)
USS ベル(DD-587)(1943年6月撮影)
基本情報
建造所 チャールストン海軍工廠
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級駆逐艦
艦歴
起工 1941年12月30日
進水 1942年6月24日
就役 1943年4月3日
退役 1946年6月14日
除籍 1972年11月1日
その後 1975年5月11日に標的艦として沈没
要目
排水量 2,050トン
全長 376ft 6in(114.7m)
最大幅 39ft 8in(12.1m)
吃水 17ft 9in(5.4m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 60,000shp(45MW)
最大速力 35ノット(65km/h)
乗員 329名
兵装 5インチ単装砲×5基
40mm機関砲×4基
20mm単装機関砲×4基
21インチ五連装魚雷発射管×2基
爆雷投下軌条×2基
爆雷投射機×6基
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ベル(USS Bell DD-587)は、アメリカ海軍フレッチャー級駆逐艦の一隻。ヘンリー・H・ベル少将(1808-1868)にちなんで命名された艦としては2隻目である。

建造と就役

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ベルは1942年6月24日にチャールストン海軍工廠進水し、ベル少将の曾孫にあたるクレア・クック・ハルス夫人によって1943年3月4日に就役した。

艦歴

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1943年11月までベルは北大西洋で哨戒と護衛に従事し、8月にイギリスへ1回航海した。11月6日に太平洋に向けて出港し、11月27日に真珠湾に到着。その後、第58任務部隊(TF58)に参加し、ニューアイルランドカビエン攻撃(1943年12月25日、1944年1月1日と4日)、マーシャル諸島のクェゼリン侵攻(1月29日~2月2日)、トラック攻撃(2月17日~18日)、マリアナ諸島空襲(2月21日~22日)、カロリン空襲(3月30日~4月1日)、ホランディア上陸作戦(4月21日~24日)、サイパン侵攻作戦(6月12日~24日)に参加。 第1次ボニン空襲(6月15-16日)、フィリピン沖海戦(6月19-20日)、第2次ボニン空襲(6月24日)、第3次ボニン空襲(7月3-4日)、グアム侵攻(7月21日)、西カロリン諸島空襲(7月25-28日)、第4次ボニン空襲(8月4-5日)、パラオ空襲(9月6-8日)、フィリピン諸島空襲(9月9-24日)、沖縄空襲(10月10日)、そしてTF38のもとで台湾空襲(10月12-17日)に参加。

ベルはヒューストンキャンベラの護衛の一員として、台湾沖からウルシー沖まで(10月15日~29日)。その後、ルソン島攻撃(11月5日~12月16日)とルソン島リンガエン湾侵攻(1945年1月4日~18日)のため第3艦隊に復帰。

1945年1月31日深夜、北緯13度20分、東経119度20分の海域で、オバノンウルヴァート・M・ムーア英語版と共に日本潜水艦呂-115を撃沈。ベルは修理のためピュージェット・サウンド海軍工廠に戻り、2月27日に到着。4月22日に西海岸を出発し、5月29日にレイテに到着。そこからブルネイ湾(6月7日~10日)とボルネオ島バリクパパン(7月1日~3日)の上陸作戦に向かった。ベルは終戦までフィリピン輸送船団の哨戒と護衛を行い、1945年12月14日にサンフランシスコに向け出港し、1946年1月4日に到着するまで、沖縄、中国、朝鮮半島で占領任務に就いた。

ベルは1946年6月14日に予備役として任務から外され、太平洋予備艦隊サンディエゴグループに所属した。1972年11月1日に海軍艦艇登録から抹消され、1975年5月11日に標的として撃沈された。

栄典

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ベルは第二次世界大戦に参加し、12個の戦列星章を授与された。

参考文献

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外部リンク

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