リッキー・ギブソン
リッキー・ギブソン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
リッキー・ギブソン[1] リック・ギブソン[1] マット・ギブソン[1] リッキー・リー・ジョーンズ[1] リック・ケイン[1] |
本名 | リック・ケイン(Rick Cain)[2] |
身長 | 178cm[3] |
体重 | 100kg(全盛時)[3] |
誕生日 | 1952年11月19日[1][2] |
死亡日 | 2006年9月15日(53歳没)[1][2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州 エスカンビア郡ペンサコーラ[1][3] |
デビュー | 1970年[1] |
リッキー・ギブソン(Ricky Gibson、本名:Rick Cain、1952年11月19日 - 2006年9月15日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州ペンサコーラ出身。
ロックンロール・エクスプレスで活躍したロバート・ギブソンの実兄であり、ロバートとの兄弟タッグチーム、ザ・ギブソン・ブラザーズ(The Gibson Brothers)でも活動した[4]。
1975年7月の全日本プロレス初来日時、ミサイルキックを日本で初公開したことで知られる[3]。
来歴
[編集]YMCAでレスリングを学び、プロレス会場での写真やコーラの売り子を経て、地元ペンサコーラをサーキット・エリアとするアラバマのNWAガルフ・コースト地区にて、1970年に17歳でデビュー[2]。
若手のベビーフェイスとして活動し、1972年12月29日にバトルロイヤルで優勝してNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得[5]。1973年12月7日にはスティーブ・カーンと組んでガルフ・コースト地区のUSタッグ王座にも戴冠した[6]。1974年からは、長年の主戦場となるテネシーのNWAミッドアメリカ地区にも参戦し、1974年6月3日にジェリー・ローラーを破りNWA南部ジュニアヘビー級王座を獲得している[7]。
1975年7月、全日本プロレスの『サマー・アクション・シリーズ』に初来日。開幕戦では外国人エースの一角ボビー・ダンカンのパートナーに起用されてメインイベントに出場し、ジャイアント馬場&アントン・ヘーシンクと対戦した。シリーズ第14戦目となる7月21日の新潟市体育館大会では、ジャンボ鶴田を相手にコーナーポスト最上段からのミサイル・ドロップキックを日本で初公開[3]、試合には敗れたものの話題を集めた(後に鶴田はこの技を、大一番の切り札として使用するようになる)[8]。
1976年はボブ・ガイゲルが主宰していた中西部のセントラル・ステーツ・レスリングに進出し、10月1日にブルドッグ・ボブ・ブラウンからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取[9]。10月25日にはハーリー・レイスの挑戦を受け、時間切れ引き分けで防衛に成功した[10]。以降もボブ・スローターなどを相手に防衛戦を行い、11月22日まで王座を保持している[9]。
主戦場のテネシーでは、同地区のトップスターだったビル・ダンディーともコンビを組み、1977年1月24日にデビッド・シュルツ&ダッチ・マンテルを破ってNWA南部タッグ王座を獲得[11]。5月1日にも、前年にデビューした弟のロバート・ギブソンをパートナーに、デニス・コンドリー&フィル・ヒッカーソンから同タッグ王座を奪取、ギブソン・ブラザーズとしての初戴冠を果たしている[11]。
以降、1970年代末よりロバートとのギブソン・ブラザーズでの活動を本格的に開始。1979年6月20日にはロサンゼルスにてツイン・デビルズを破りNWAアメリカス・タッグ王座を獲得[12]。テネシーでは1980年から1982年にかけて、NWAミッドアメリカの後継団体CWAにて、キューバン・アサシン&イラニアン・アサシン、ブロンド・ボンバーズ(ラリー・レイザム&ウェイン・ファリス)、ミスター・オーニタ&マサ・フチ、スタン・レーン&スウィート・ブラウン・シュガーなどのチームを相手に、NWAからAWAの認定タイトルとなった南部タッグ王座を争った[11]。
1983年はアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにてシングルプレイヤーとして活動したが、自動車事故により引退を余儀なくされた[2][4]。その後、散発的にリングに復帰し、リッキー・リー・ジョーンズ(Ricky Lee Jones)のリングネームでジム・クロケット・プロモーションズなどに出場するも[13]、本格的なカムバックを果たすことはなかった。
1994年8月5日、ジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングにて、ロバート・ギブソン&リッキー・モートンのロックンロール・エクスプレスのセコンドとして公の場に久々に登場[4]。対戦相手チームのクリス・キャンディード&ブライアン・リーのマネージャー、タミー・リン・シッチとも対峙した。
2006年9月15日、フロリダ州ミルトンの自宅にて死去[2]。53歳没。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- スーパースター・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAアラバマ・ヘビー級王座:3回[5]
- NWAガルフ・コースト・ヘビー級王座:1回[15]
- NWA USジュニアヘビー級王座:1回[16]
- NWA USタッグ王座(ガルフ・コースト版):1回(w / スティーブ・カーン)[6]
- NWAテネシー・タッグ王座:1回(w / ジミー・ゴールデン)[17]
- NWAサウスイースタン・タッグ王座:2回(w / ジミー・ゴールデン)[18]
- NWA南部ジュニアヘビー級王座(ミッドアメリカ版):1回[7]
- NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版) / AWA南部タッグ王座:6回(w / トミー・ギルバート、ビル・ダンディー、ロバート・ギブソン×4)[11]
- NWA世界6人タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(w / トミー・ギルバート&エディ・マーリン)
- NWAミッドアメリカ・タッグ王座:3回(w / スティーブ・コバックス、ビル・ダンディー×2)
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回[9]
- NWAアメリカス・タッグ王座:1回(w / ロバート・ギブソン)[12]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i “Ricky Gibson”. Wrestlingdata.com. 2013年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “The forgotten talent of Rick Gibson”. Slam Wrestling (2006年9月20日). 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P56(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c “Ricky Gibson”. Online World of Wrestling. 2013年8月21日閲覧。
- ^ a b “NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Junior Heavyweight Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “ジャンボ鶴田のミサイル・キック”. ミック博士の昭和プロレス研究室. 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b c “NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “リッキー・ギブソン”. ダークロHP レスラーノート. 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b c d “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ a b “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “Wrestlers Database: Matches of Ricky Gibson”. Cagematch.net. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “SCW Western States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年10月1日閲覧。
- ^ “NWA Gulf Coast Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “NWA United States Junior Heavyweight Title [Southeast/Continental]”. Wrestling-Titles.com. 2013年9月4日閲覧。
- ^ “NWA Tennessee Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月11日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月11日閲覧。